●歌は、「大原のこのいち柴のいつしかと我が思ふ妹に今夜逢へるかも」である。
●歌碑は、奈良県高市郡明日香村 万葉文化館前交差点近く にある。
●歌をみていこう。
◆大原之 此市柴乃 何時鹿跡 吾念妹尓 今夜相有香裳
(志貴皇子 巻四 五一三)
≪書き下し≫大原のこのいち柴のいつしかと我(あ)が思ふ妹に今夜(こよひ)逢へるかも
(訳)大原のこの茂りに茂ったいち柴ではないが、いつ逢えるか何とか早くと思いつづけていたあなたに、今夜という今夜はとうとう逢うことができました。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
志貴皇子の歌は万葉集に六首収録されている。これまでにも紹介したが六首をみていこう。
◆婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久 (巻一 五一)
≪書き下し≫采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風(あすかかぜ)都を遠(とほ)みいたづらに吹く
(訳)采女の袖をあでやかに吹きかえす明日香風、その風も、都が遠のいて今はただ空しく吹いている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
◆葦邊行 鴨羽我比尓 霜零而 寒暮夕 倭之所念 (巻一 六四)
≪書き下し≫葦辺(あしへ)行く鴨の羽交(はが)ひに霜降りて寒き夕(ゆふへ)は大和(やまと)し思ほゆ
(訳)枯葦のほとりを漂い行く羽がいに霜が降って、寒さが身にしみる夕暮れは、とりわけ故郷大和が思われる。(同上)
◆牟佐ゝ婢波 木末求跡 足日木乃 山能佐都雄尓 相尓来鴨 (巻三 二六七)
≪書き下し≫むささびは木末(こぬれ)求(もと)むとあしひきの山のさつ男(を)にあひにけるかも
(訳)巣から追い出されたむささびは、梢(こずえ)を求めて幹を駆け登ろうとして、あしひきの山の猟師に捕えられてしまった。(同上)
◆大原之 此市柴乃 何時鹿跡 吾念妹尓 今夜相有香裳 (巻四 五一三)
≪書き下し≫大原のこのいち柴のいつしかと我(あ)が思ふ妹に今夜(こよひ)逢へるかも
(訳)大原のこの茂りに茂ったいち柴ではないが、いつ逢えるか何とか早くと思いつづけていたあなたに、今夜という今夜はとうとう逢うことができました。(同上)
◆石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨 (巻八 一四一八)
≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うへ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも
(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ。(同「二」)
◆神名火乃 磐瀬乃社之 霍公鳥 毛無乃岳尓 何時来将鳴 (巻八 一四六六)
≪書き下し≫神(かむ)なびの石瀬(いはせ)の社(もり)のほととぎす毛無(けな)しの岡にいつか来鳴かむ
(訳)神なびの石瀬の森の時鳥(ほととぎす)よ、この時鳥は、毛無(けなし)の岡にはいつ来て鳴いてくれるのであろうか。(同「二」)
ちなみに、一四一八歌は、巻八の巻頭歌である。
「犬養孝氏揮毫の万葉歌碑マップ(明日香村)」によると、万葉文化館東側の県道15号線(桜井明日香吉野仙)交差点「万葉文化館前」近くに歌碑の標がある。
前日、地図上で、文化館から交差点付近をストリートビューを行うが見つけることができない。どうももう一本細い道が交差点の近くの一段下の所にあるようである。
果物販売所があり、その東側に車を止められそうな場所があるので、そこに車を止め、下に降りて行けば見つかるはずと見当をつける。
当日は、バーチャルシミレーションのおかげで速やかに行動でき、歌碑をゲットした。夏の雑草が生い茂り、現代訳の小さめの歌碑は埋もれてしまっている。歌碑の後ろには果樹園が広がり、遠くには畝傍山が見えていた。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「犬養孝氏揮毫の万葉歌碑マップ(明日香村)」
★「万葉歌碑データベース」 (奈良女子大)
※20210718朝食関連記事削除、一部改訂