万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その182改)―京都府木津川市山城郷土資料館―万葉集 巻六 一〇五六

●歌は、「娘子らが続麻替懸くといふ鹿瀬の山時しゆければ都となりぬ」である。

 

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山城郷土資料館万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、京都府木津川市山城町 山城郷土資料館 にある。

 

●歌をみていこう。

◆「女+感」嬬 等之 續麻繋云 鹿脊之山 時之往者 京師跡成宿

                ( 作者未詳 巻六 一〇五六)

        ※「『女+感』+嬬」=をとめ

 

≪書き下し≫娘子(をとめ)らが続麻(うみを)懸(か)くといふ鹿背(かせ)の山(やま)時しゆければ都となりぬ

 

(訳)おとめたちが續(う)んだ麻糸を掛けるという桛(かせ)、その名にちなみの鹿背の山、この山のあたりも、時移り変わって、今や皇城の地となっている。(伊藤 博 著 「万葉集二」 角川ソフィア文庫より)

(注)うみを 【績み麻】名詞:紡(つむ)いだ麻糸。麻や苧(からむし)の茎を水にひたし、蒸してあら皮を取り、その細く裂いた繊維を長くより合わせて作った糸。「うみそ」とも。

(注)うむ 【績む】(麻または苧(からむし)の繊維を)長くより合わせて糸にする。

 

 題詞は、「讃久迩新京歌二首幷短歌」<久邇の新京を讃(ほ)むる歌二首 幷(あは)せて短歌>である。

 恭仁京跡は、山城郷土資料館から国道163号線を信楽方面に約4kmの所にある。

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恭仁宮大極殿阯石碑

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山城國分寺阯 舊恭仁宮阯 石碑

 

 長歌(一〇五〇)と反歌二首(一〇五一、一〇五二)の歌群と、長歌(一〇五三)と反歌五首(一〇五四~一〇五八)と二つの歌群になっている。

第二群の長歌ならびに反歌(一〇五八)はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その181)」にとりあげている。

 ここでは、残りの、一〇五四、一〇五五、一〇五七歌をみてみよう。

 

◆泉川 往瀬乃水之 絶者許曽 大宮地 遷往目

                (作者未詳 巻六 一〇五四)

 

≪書き下し≫泉川(いづみかわ)行く瀬の水の絶えばこそ大宮ところうつろひゆかめ

 

(訳)泉川、この川の行く瀬の水が絶えるようなことでもあれば、大宮所のさびれてゆくこともありはしようが・・・。(伊藤 博 著 「万葉集二」 角川ソフィア文庫より)

(注)泉川:木津川の古名

 

◆布當山 山並見者 百代尓毛 不可易 大宮處

                (作者未詳 巻六 一〇五五)

 

≪書き下し≫布当山(ふたぎやま)山なみ見れば百代(ももよ)にも変わるましじき大宮ところ

 

(訳)布当山、この山の連なりを見ると、ここは百代ののちまで変わることなどあるはずのない大宮所だ。(伊藤 博 著 「万葉集二」 角川ソフィア文庫より)

(注)布当山(ふたぎやま)については三つの説がある。

①「恭仁宮背後の山々」説三上山〜海住山寺付近の山々

②「王廟山(湾漂山)」説木津川市加茂町井平尾・銭司 

③「鹿背山の別名」説木津川市鹿背山・加茂町法花寺野など

   (木津川市観光協会木津川市ゆかりの万葉集」より)             

 

◆鹿脊之山 樹立牟繁三 朝不去 寸鳴響為 鸎之音

                (作者未詳 巻六 一〇五七)

 

≪書き下し≫鹿背(かせ)の山木立(こだち)を茂(しげ)み朝さらず来鳴き響(とよ)もすうぐひすの声

 

(訳)鹿背の山、この山には木立がいっぱい茂っているので、朝毎にやって来ては鶯が鳴き立てている。(伊藤 博 著 「万葉集二」 角川ソフィア文庫より)

(注)鹿背山:山城郷土資料館の木津川をはさんだ南東方向にある。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「木津川市ゆかりの万葉集」(木津川市観光協会

★「webjio古語辞書 学研全訳古語辞典」

 

 

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