万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その198)―京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園 №3―万葉集 巻一 一二五

●歌は、「橘の蔭踏む道の八衢に物をぞ思ふ妹に逢はずして」である。

 

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京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園№3万葉歌碑(三方沙弥)

●歌碑は、京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園にある。

 

歌をみていこう。

◆橘之 蔭履路乃 八衢尓 物乎曽念 妹尓不相而  <三方沙弥>

            (三方沙弥 巻一 一二五)

 

≪書き下し≫橘(たちばな)の蔭(かげ)踏(ふ)む道の八衢(やちまた)に物をぞ思ふ妹(いも)に逢はずして  

 

(訳)橘の木影を踏んで行く道のように、岐(わか)れ岐れのままにあれやこれや物思いに悩むことよ。あの子に逢わないままでいて。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)やちまた【八衢・八岐】名詞:道が幾つにも分かれている所。

 

 題詞は、「三方沙弥娶園臣生羽之女未経幾時臥病作歌三首」<三方沙弥(みかたのさみ)、園臣生羽(そののおみいくは)が女(むすめ)を娶(めと)りて、幾時(いくだ)も経ねば、病に臥(ふ)して作れる歌三首>である。

 

 この歌群の他の二首をみてみよう。

 

◆多氣婆奴礼 多香根者長寸 妹之髪 此来不見尓 掻入津良武香  <三方沙弥>

              (三方沙弥 巻一 一二三)

 

≪書き下し≫たけばぬれらかねば長き妹(いも)が髪(かみ)このころ見ぬに掻(か)き入れつらむか

 

(訳)束ねようとすればずるずると垂れ下がり、束ねないでおくと長すぎるそなたの髪は、この頃見ないが、誰かが櫛(くし)けずって結い上げてしまったことだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)  

(注)たく【綰く】:髪をかき上げて束ねる。

(注)ぬる:ほどける。ゆるむ。抜け落ちる。

 

◆人皆者 今波長跡 多計登雖言 君之見師髪 乱有等母  <娘子>

               (娘子 巻一 一二四)

 

≪書き下し≫人皆(みな)は今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも

 

(訳)まわりの人びとは皆、もう長くなったとか、もう結い上げなさいとか言いますけど、あなたがご覧になった髪ですもの、どんなに乱れていようと、私はそのままにしておきます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 三方沙弥は伝不詳ではあるが、万葉集には七首収録されている。四二二七、四二二八歌は「三形沙弥」と記されているが同一人物である。

他の5首をみていこう。

 

◆衣手乃 別今夜従 妹毛吾母 甚戀名 相因乎奈美

              (三方沙弥 巻四 五〇八)

 

≪書き下し≫衣手(ころもで)の別(わ)くる今夜(こよひ)ゆ妹も我(あ)れもいたく恋ひなむ逢ふよしをなみ

 

(訳)二人で交わして寝た袖、この袖を分けて離れ離れになる今夜からは、あなとも私もひどく恋心に責め立てられることであろうな。逢う手立てもないままに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞は、「三方沙弥歌一首」<三方沙弥が歌一首>である。

 

 

◆橘 本尓道履 八衢尓 物乎曽念 人尓不所知

              (三方沙弥 巻六 一〇二七)

 

≪書き下し≫橘(たちばな)の本(もと)に道踏(ふ)む八衢(やちまた)に物をぞ思ふ人に知らえず

 

(訳)橘の並木の根元を踏んで歩み行く道の、その多くの岐(わか)れ道さながらに、あれやこれやと私は物思いに悩んでいる。この思いをあの人に知ってもらえずに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 左注は、「右一首右大辨高橋安麻呂卿語云 故豊嶋采女作也 但或本云三方沙弥戀妻苑臣作歌也 然則豊嶋采女當時所口吟此歌歟」<右のは、」右大弁(うだいべん)高橋安麻呂卿(たかはしのやすまろのまへつきみ)語りて「故豊嶋采女が作なり」といふ。ただし、或本には三方沙弥、妻園臣(そののおみ)に恋ひて作る歌なり」といふ。しからばすなはち、豊嶋采女は当時(そのとき)当所(そのところ)にしてこの歌を口吟(うた)へるか>である。

 

◆足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎ゝ尓 雪落者  或云 枝毛多和ゝゝ

                (三方沙弥 巻十 二三一五)

 

≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば 或いは「枝もたわたわ」といふ

 

(訳)あしひきの山道のありかさえもわからない。白橿の枝も撓(たわ)むほどに雪が降り積もっているので。<枝もたわわに>(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 左注は、「右柿本朝臣人麻呂歌集出也 但件一首 或本云三方沙弥作」<右は、柿本朝臣人麻呂歌集に出づ。ただし、件(くだり)の一首は、或本には「三方沙弥が作」といふ。

(注)件の一首:二三一五歌のこと

 

 

 次に、「三形沙弥」と表記されているが、二首をみてみよう。

 

◆大殿之 此廻之 雪莫踏祢 數毛 不零雪曽 山耳尓 零之雪曽 由米縁勿  人哉莫履祢 雪者

               (三形沙弥 巻十九 四二二七)

 

≪書き下し≫大殿(おほとの)の この廻(もとほ)りの 雪な踏みそね しばしばも 降らぬ雪ぞ 山のみに 降りし雪ぞ ゆめ寄るな 人や な踏みそね 雪は 

 

(訳)大殿の、このまわりの雪はふみ荒らすではない。そうしょっちゅうは降らない雪なのだ。いつもは山だけに降った雪なのだ。ゆめ近寄るでないぞ。そこの人。ゆめゆめお踏みでないぞ。雪は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞は、「反歌一首」である。

◆有都々毛  御見多麻波牟曽  大殿乃  此母等保里能  雪奈布美曽祢

               (三形沙弥 巻十九 四二二八)

 

≪書き下し≫ありつつも見(め)したまはむぞ大殿のこの廻(もとほ)りの雪な踏みそね

 

(訳)このままにしておいてご覧になられようとするのだ。大殿のこのまわりの雪は踏み荒すではない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 左注は、「右二首歌者三形沙弥承贈左大臣藤原北卿之語作誦之也 聞之傳者笠朝臣子君 復後傳讀者越中國掾久米朝臣廣縄是也」<右の二首の歌は、三形沙弥(みかたのさみ)、贈左大臣藤原北卿(ふぢはらのきたのまへつきみ)が語(ことば)を承(う)けて作り誦(よ)む。 これを聞きて伝ふるは、笠朝臣子君(かさのあそみこぎみ) また後(のち)に伝へ読むは、越中國(こしなかのくに)の掾久米朝臣廣縄(じようくめのあそみひろつな)ぞ。>

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

サンドイッチは、サニーレタス、トマトそしてウインナーソーセージである。デザートは、バナナのスライスを重ねて飾り、アイボリーブドウと赤ブドウで加y即した。

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9月16日のザ・モーニングセット

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9月16日のフルーツフルデザート