●歌は、「山の際に雪は降りつつしかずがにこの川楊は萌えにけるかも」である。
●歌をみていこう。
◆山際尓 雪者零管 然為我二 此河楊波 毛延尓家留可聞
(作者未詳 巻十 一八四八)
≪書き下し≫山の際(ま)に雪は降りつつしかすがにこの川楊(かはやぎ)は萌えにけるかも
(訳)山あいに雪は降り続いている。それなのに、この川の楊(やなぎ)は、もう青々と芽を吹き出した。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)しかすがに 【然すがに】副詞:そうはいうものの。そうではあるが、しかしながら。
万葉集巻十の部立「春雑歌」に植物に関した歌は、「詠柳」<柳を詠む>八首、「詠花」廿首がある。「詠柳」の一八四八歌以外の七首をみてみよう。
◆霜干 冬柳者 見人之 蘰可為 目生来鴨
(作者未詳 巻十 一八四六)
≪書き下し≫霜枯(しもが)れの冬の柳は見る人のかづらにすべく萌(も)えにけるかも
(訳)霜枯れしていた冬の柳は、見る人の誰もが縵(かずら)にしたくなるほど、青々と芽を吹き出した。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
◆淺緑 染懸有跡 見左右二 春楊者 目生来鴨
(作者未詳 巻十 一八四七)
≪書き下し≫浅緑(あさみどり)染(そ)め懸けたりと見るまでに春の柳は萌えにけるかも
(訳)薄緑色に糸を染めて木に懸けたと見紛うほどに、春の柳は、青々と芽を吹き出した。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
◆山際之 雪者不消有乎 水▼合 川之副者 目生来鴨
(作者未詳 巻十 一八四九)
※水▼合=「みなぎらふ」
≪書き下し≫山の際(ま)の雪は消(け)ずあるをみなぎらふ川の沿(そ)ひには萌えにけるかも
(訳)山あいの雪はまだ消え残っているのに、水が溢(あふ)れて流れる川のそばでは、川の楊が青々と芽を吹き出した。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)みなぎらふ 【漲らふ】分類連語:水が満ちあふれている。みなぎりかえる。
◆朝旦 吾見柳 鶯之 来居而應鳴 森尓早奈礼
(作者未詳 巻十 一八五〇)
≪書き下し≫朝(あさ)な朝(さ)な我が見る柳うぐひすの来居(きゐ)て鳴くべく茂(しげ)に早(はや)なれ
(訳)来る朝ごとに、私が見ている柳よ、鶯(うぐいす)が飛んできて枝にとまって鳴けるような茂みに一日も早くなっておくれ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
◆青柳之 絲乃細紗 春風尓 不乱伊間尓 令視子裳欲得
(作者未詳 巻十 一八五一)
≪書き下し≫青柳(あをやぎ)の糸のくはしさ春風に乱れぬい間(ま)に見せむ子もがも
(訳)青々と芽ぶいている柳の糸のこまやかな美しさよ。春風に乱れないうちに、誰か見せてやる子がいればよいのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)くはし【細し・美し】形容詞:うるわしい。細やかで美しい。
◆百礒城 大宮人之 蘰有 垂柳者 雖見不飽鴨
(作者未詳 巻十 一八五二)
≪書き下し≫ももしきの大宮人(おほみやひと)のかづらけるしだり柳は見れど飽(あ)かぬかも
(訳)ももしきの大宮人たちが縵(かずら)にしているしだれ柳は、見ても見ても見飽きることがない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
◆梅花 取持見者 吾屋前之 柳乃眉師 所念可聞
(作者未詳 巻十 一八五三)
≪書き下し≫梅の花取り持ち見れば我がやどの柳の眉(まよ)し思ほゆるかも
(訳)梅の花、これを手に折り取って見つめていると、我が家の柳の、眉のような若葉が思われてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
春先の、柳の芽吹きの緑はたしかに、「見れど飽かぬかも」である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
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