●歌は、「み薦刈る信濃の真弓我が引けば貴人さびていなと言はむか」である。
●歌碑は、京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園 №13にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「久米禅師娉石川郎女時歌五首」<久米禅師(くめのぜんじ)、石川郎女(いしかはのいらつめ)を娉(つまど)ふ時の歌五首>である。禅師、郎女、郎女、禅師、禅師と掛け合っており、妻どいの歌の典型とされている。
なお、下記の訳はすべて、「伊藤 博 著 『万葉集 一』 角川ソフィア文庫」によっている。
◆水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人作備而 不欲常将言可聞 (禅師)
(久米禅師 巻二 九六)
≪書き下し≫み薦(こも)刈(か)る信濃(しなの)の真弓(まゆみ)我(わ)が引かば貴人(うまひと)さびていなと言はむかも
(訳)み薦刈る信濃、その信濃産の真弓の弦(つる)を引くように、私があなたの手を取って引き寄せたら、貴人ぶってイヤとおっしゃるでしょうかね。 (禅師)
(注)みこもかる 【水菰刈る】分類枕詞:水菰がたくさん生えていて、それを刈り取る地の意で、「信濃(しなの)」にかかる。
(注)みこも【水菰・水薦】水中に生えているマコモ。 (三省堂 大辞林 第三版)
(注)引かば:手に取って引き寄せたら
続いてみていこう。
◆三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 強佐留行事乎 知跡言莫君二 (郎女)
(石川郎女 巻二 九七)
≪書き下し≫み薦(こも)刈(か)る信濃(しなの)の真弓(まゆみ)引かずして弦(を)はくるわざを知ると言はなくに
(注)五句目は、「をはくるわざを」、「あなさるわざを」、「しひざるわざを」と読む説がある。
(訳)み薦刈るその信濃の真弓を実際に引きもしないで弦(つる)をかける方法なんか知っているとは、世間では、誰も言わないものですがね。 (郎女)
(注)上三句は女を本気で誘わないことの譬え。(伊藤脚注)
(注)弦(を)はくるわざ:弦をかける方法。女を従えることの譬え。(伊藤脚注)
◆梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨 (郎女)
(石川郎女 巻二 九八)
≪書き下し≫梓(あずさ)弓(ゆみ)引かばまにまに寄(よ)らめども後(のち)の心を知りかてぬかも
(訳)梓弓を引くにように本気で引っぱって下さったら、お誘いのままに寄り従いましょうが、行く末のあなたの心がわかりかねるのです。 (郎女)
◆梓弓 都良絃取波氣 引人者 後心乎 知人曽引 (禅師)
(久米禅師 巻二 九九)
≪書き下し≫梓(あずさ)弓(ゆみ)弦(つら)緒(を)取りはけ引く人は後(のち)の心を知る人ぞ引く
(訳)梓弓の弦の緒をつけて引くわざを知らぬ男などいるものですか。梓弓に弦をつけて引く人は、行く先々まで相手がこちらに靡いて心変わりしないとちゃんと見通している人なのですよ。さあ引きますよ。 (禅師)
◆東人之 荷向篋乃 荷之緒尓毛 妹情尓 乗尓家留香問 (禅師)
(久米禅師 巻二 一〇〇)
≪書き下し≫東人(あずまひと)の荷前(のさき)の箱の荷(に)の緒(を)にも妹(いも)は心に乗りにけるかも
(訳)東国人の荷前(のさき)の箱の荷をしばる綱のように、あの子は私にしっかと食い込んでしまったよ。
(注)のさき【荷前】:古代、諸国から来る貢ぎ物の初物。これを朝廷から伊勢大神宮をはじめ諸陵墓などに奉った。
(注)こころにのる(心に乗る)
① 心に乗り移って離れない。心を占める。心にかかる。
② 気に入る。満足する。心にかなう。
③ 十分に理解する。よく分かる。
以上の駆け引きを簡単にまとめてみると次のようになる。
▼「我が引けば」と、ある意味強引とも思える求婚の意思表明である。(九六歌)
▼「引かずして」と、本当に引く気があるのと、軽くいなしている。(九七歌)
▼「引かば寄らめども」と、本当に引くのであれば、と受け入れの気持ちを前に出すものの、「後の心を知りかてぬかも」と軽く甘えて不安を醸し出している、(九八歌)
▼「引く人は後の心を知る」と、心変わりしないと強く打ち出し、「引く」と宣言するのである。(九九歌)
▼「妹は心に乗りにける」と、恋の駆け引きの終了を、すなわち、めでたし、めでたし、と独白しているのである。(一〇〇歌)
万葉集巻二は、巻一同様、万葉集の母体をなす中核的な古撰集的な歴史的意味合いの強い性格があるなかにあって、100番目に「妹は心に乗りける」という駆け引きの終わりをもってくるという、編集者の「遊び心」を感じてしまう。こういうところにも万葉集の万葉集たる所以が潜んでいるのかもしれない。
石川郎女(いしかわのいらつめ)については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その22)」でとりあげている。
その22の歌は、「大き海の水底ふかく思ひつつ裳引き平らしし菅原の里」(巻二十 四四九一)で、左注は、「右一首藤原宿奈麻呂朝臣之妻石川女郎薄愛離別悲恨作歌也」<右の一首は、藤原宿奈麻呂朝臣(ふぢはらのすくなまろのあそみ)が妻(め)石川女郎(いしかはのいらつめ)、愛を薄くし離別せられえ、悲しび恨みて作る歌。>とある。
石川郎女とあるが同一人物ではない。九六~一〇〇歌の結婚の駆け引きに対し、こちらは、「離別せられえ、悲しび恨みて作る歌」である。
石川郎女、石川女郎に関しては万葉集には、八首の歌が収録されているが、すべて同一人物であるとみるのは困難であるといわれている。最大公約数的四人説を軸に諸説があるようである。<ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その22)」から再掲載>
ちなみに、精選版日本国語大辞典の解説によれば次の通りである。
①久米禅師と歌を贈答した女性。 巻二 九七・九八の作者
②大津皇子の贈歌に対して答えた女性。 巻二 一〇八の作者
③日並皇子(ひなめしのみこ)と歌を贈答し、字を大名児(おおなこ)
という女性。 巻二 一一〇の題詞に見える。
④大伴田主の求婚し拒絶された女性。あるいは大名児と同人か。
巻二 一二六・一二八四の作者。
⑤大伴安麻呂の妻で坂上郎女の母。石川朝臣、石川命婦(ひめとね)、
石川内命婦、邑波(おおば)ともいう。巻二 一二九の作者
⑥藤原宿奈麻呂朝臣の妻。 巻二〇 四四九一の左注に見える。
{補注}②③④は同一人物かといわれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
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※20240105九七歌一部改訂