●歌は、「からたちと茨刈り除け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自」である。
●歌碑は、京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園 №14 にある。
●歌をみていこう。
◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自
(忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)
≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)
(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
題詞は、「忌部首詠數種物歌一首 名忘失也」<忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠む歌一首 名は、忘失(まうしつ)せり>である。
万葉集巻十六の巻頭には「有由縁幷雑歌」とあるが、万葉集目録は「有由縁雑歌」<有由縁(ゆゑよし)ある雑歌(ざうか)>とある。前者の場合は、「有由縁幷せて雑歌」あるいは、「有由縁、雑歌を幷せたり」と、読まれ、「由縁」ある歌と雑歌を収録しているという標示と考えられる。後者の場合は、全体が、由縁有る雑歌を意味する。いずれにしても、他の巻と比べても特異な位置づけにあることがわかる。
神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、巻十六についていくつかのグループに分けることができると書いておられる。
Aグループ:題詞が他の巻と異なり物語的な内容をもつ歌物語の類(三七八六~三八〇五歌)
Bグル―プ:同じく歌物語的ではあるが、左注が物語的に述べる類(三八〇六~三八一五歌)
Ⅽグループ:いろいろな物を詠みこむように題を与えられたのに応じた類(三八二四~三八三四歌、三八五五~三八五六歌)
Dグループ:「嗤う歌」という題詞をもつ類(三八三〇~三八四七歌、三八五三~三八五四歌)
Eグループ:国名を題詞に掲げる歌の類(三八七六~三八八四歌)
物語的な由縁があるA,Bグループと雑歌のC~Eグループと見る考え方もある。物を詠みこむ、とか「嗤う」とか、国名に関連するといった類も広い意味で「由縁」と考えられなくもないと思われる。
歌碑の歌(三八三二歌)は、「Cグループ」に入っている。
Ⅽグループの歌を一つみてみよう。三八三四歌である。
題詞は、「作主未詳歌一首」<作主未詳の歌一首>である。
◆成棗 寸三二粟嗣 延田葛乃 後毛将相跡 葵花咲
(作者未詳 巻十六 三八三四)
≪書き下し≫梨(なし)棗(なつめ)黍(きみ)に粟(あは)つぎ延(は)ふ葛(くず)
の後(のち)も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く
(訳)梨、棗、黍(きび)、それに粟(あわ)と次々に実っても、早くに離れた君と今は逢えないけれど、延び続ける葛のようにのちにでも逢うことができようと、葵(逢う日)の花が咲いている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
この歌には、植物の名前にかけた言葉遊びが隠されている。
万葉集において「梨」は「妻梨(つまなし)の木」(巻十)とも詠まれており、妻成(ツマナ)シの木(「妻とする」の意)、もしくは妻無(ツマナ)シの木(「妻がいない」の意)の両説がある。「黍(きみ)」は「君(きみ)」に、「粟(あは)」は「逢(あ)ふ」に、そして「葵(あふひ)」には「逢(あ)ふ日(ひ)」の意味が込められている。
この歌は、あなたに会いたい!という思いを、秋に実るたくさんの植物の名前を用いながら詠んでいるのである。
万葉集にあっては、「君」は男から女に対する敬称であったから、「黍」には「君(きみ)」の意があるとするなら、この歌は女の歌、あるいは女として歌った歌と考え、別れたあなたに逢いたい、他のひとと結ばれている(妻ありなし)かを棗(なつめ)、強く問い詰めたい意があるとすれば、すべての植物に言葉遊びがあると思うのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」― 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
※20210719朝食関連記事削除、一部改訂