●歌は、「ほととぎす来鳴き響もす卯の花の伴にや来しと問はましものを」である。
●歌をみていこう。
◆霍公鳥 来鳴令響 宇乃花能 共也来之登 問麻思物乎
(石上堅魚 巻八 一四七二)
≪書き下し≫ほととぎす来鳴き響(とよ)もす卯(う)の花の伴(とも)にや来(こ)しと問はましものを
(訳)時鳥が来てしきりに鳴き立てている。お前は卯の花の連れ合いとしてやって来たのかと、訪ねたいものだが。
(注)卯の花の伴にや来しと:うつぎの花の連れ合いとして来たのかと。時鳥を、妻を亡くした大伴旅人に見立てている。
題詞は、「式部大輔石上堅魚朝臣歌一首」<式部大輔(しきぶのだいぶ)石上堅魚(いそのかみのかつを)朝臣(あそみ)が歌一首>である。
左注は、「右神龜五年戊辰大宰帥大伴卿之妻大伴郎女遇病長逝焉 于時 勅使式部大輔石上朝臣堅魚遣大宰府弔喪幷賜物也 其事既畢驛使及府諸卿大夫等共登記夷城而望遊之日作此歌」<右は、神亀(じんき)五年戊辰(つちのえたつ)大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)が妻大伴郎女(おほとものいらつめ)、病に遇(あ)ひて長逝(ちやうせい)す。その時に、勅使式部大輔石上朝臣堅魚を大宰府に遣(つか)はして、喪(も)を弔(とぶら)ひ幷(あは)せて物を賜ふ。その事すでに畢(をは)りて、駅使(はゆまづかひ)と府の諸卿大夫等(まへつきみたち)と、ともに記夷(き)の城(き)に登りて望遊(ぼういう)する日に、すなはちこの歌を作る>とある。
(注)神亀五年:728年
(注)きいじょう(基肄城):今の佐賀県三養基みやき郡基山きやま町から福岡県筑紫野市にかけてあった朝鮮式山城。665年、大宰府の防備のために、北側の大野城とともに造られた。記夷城。椽城きじよう。(コトバンク 大辞林 第三版)
この歌に対して大伴旅人がこたえた歌が次に収録されている。こちらもみておこう。
◆橘之 花散里乃 霍公鳥 片戀為乍 鳴日四曽多毛
(大伴旅人 巻八 一四七三)
≪書き下し≫橘の花散(ぢ)る里のほととぎす片恋(かたこひ)しつつ鳴く日しぞ多き
(訳)橘の花がしきりに散る里の時鳥、この時鳥は、散った花に独り恋い焦がれながら、鳴く日が多いことです。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)片恋しつつ:亡妻への思慕をこめる
萬葉集巻第五の巻頭歌は、大伴旅人が愛妻の死を悲しんだ有名な歌である。
◆余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理
(大伴旅人 巻五 七九三)
≪書き下し≫世の中は空(むな)しきものと知る時しいよいよますます悲しかりけり
(訳)世の中とは空しいものだと思い知るにつけ、さらにいっそう深い悲しみがこみあげてきてしまうのです。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
題詞は、「大宰帥大伴卿報凶問歌一首」<大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまえつきみ)、凶問(きょうもん)に報(こた)ふる歌一首>である。
題詞に続いて、「手紙」が載せられている。
「禍故重疊 凶問累集 永懐崩心之悲 獨流断腸之泣 但依兩君大助傾命纔継耳 筆不盡言 古今所歎」<禍故重疊(くわこちようでふ)し、凶問累集(るいじふ)す。永(ひたふる)に崩心(ほうしん)の悲しびを懐(むだ)き、独(もは)ら断腸(だんちやう)の泣(なみた)を流す。ただ、両君の大助(たいじよ)によりて、傾命(けいめい)をわづかに継げらくのみ。 筆の言を尽くさぬは、古今歎くところ。>
(訳)不幸が重なり、訃報が相次ぎます。ただもう心も崩れるような悲しみをいだき、ひたすら断腸のなげきの涙を流すことです。それでも、お二人のお力添えによって、尽きようとする命をわずかにつないでいます。筆では言わんとすることをつくすことができないというのは、昔の人も今の人も嘆くところです。(神野志隆光 著 「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 東京大学出版会より)
巻五の特徴として、歌が、漢文の手紙や、漢詩などとともに一つの作品の形を作り出していることである。さらに漢詩等に対し、歌を一字一音で書くことによって、漢字ではない、歌という固有の表現形態をとり、歌と漢文という歌を含む作品として収録しているのである。ここにも、万葉集の編者の思いがあると思われるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「太陽№168 特集万葉集」
●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
サンドイッチは、オープンサンドである。サニーレタス、焼き豚、トマト、キュウリ、ニンジンである。デザートは、バナナのスライスを円状に交互に並べその上に、赤と緑のブドウの切合わせを配した。ミニネコも朝食に参加である。