●歌は、「高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに」である。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その19)」で奈良市白毫寺境内の歌碑、ならびに「同(その122)」で、奈良県橿原市南浦町万葉の森の歌碑で紹介している。
●歌をみてみよう。
◆高圓之 野邊秋芽子 徒 開香将散 見人無尓
(笠金村 巻二 二三一)
≪書き下し≫高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに
(訳)高円の野辺の秋萩は、今はかいもなくは咲いて散っていることであろうか。見る人もいなくて。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)いたずらに:無駄に。成果を伴わないさま。
題詞は、「霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首幷短歌」<霊龜元年歳次(さいし)乙卯(きのとう)の秋の九月に、志貴皇子(しきのみこ)の薨ぜし時に作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。この歌は、短歌二首の一首である。
笠金村(かさのかなむら)については、「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」によると、次のように記されている。
「奈良時代の歌人。『万葉集』には彼の名を明記した歌のほか,『笠朝臣金村歌集出』『笠朝臣金村之歌中出』と記されたものもあり,いずれも金村の作と認められている。これらによると,霊亀1 (715) 年から天平5 (733) 年にかけて作歌活動をしており,元正,聖武両朝に宮廷歌人のような立場で仕え,身分は低かったらしい。長歌 11首,短歌 34首を残す。行幸従駕の作が大部分で,形式,技巧は洗練されているが,独創性は乏しい。」とある。
題詞ならびに左注を見ながら笠金村の歌を追ってみよう
▽笠朝臣金村と明記されている歌群。
題詞「笠朝臣金村塩津山作歌二首」
<笠朝臣金村、塩津山(しほつやま)にして作る歌二首
巻三 三六四、三六五
題詞「角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首幷短歌」
<角鹿(つのが)の津(つ)にして船に乗る時に、笠朝臣金村が
作る歌一首幷(あは)せて短歌>
巻三 三六六(長歌)、三六七
題詞「神龜元年甲子冬十月幸紀伊國之時為贈従駕人所誂娘子作歌一首幷短歌」
<神亀(じんぎ)元年甲子(きのえね)の冬の十月に、紀伊の国に
幸(いでま)す時に、従駕(おほみとも)の人に贈らむために
娘子(をとめ)に誂(あとら)へらえて作る歌一首幷(あは)せて短歌>
巻四 五四三(長歌)、五四四、五四五
題詞「二年乙丑春三月幸三香原離宮之時得娘子作歌一首幷短歌」
<二年乙丑(きのとうし)の春の三月に、三香(みか)の原の
離宮(とつみや)に幸す時に、娘子(をとめ)を得(え)て、
作る歌一首幷せて短歌>
巻四 五四六(長歌)、五四七、五四八
題詞「養老七年癸亥夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首幷短歌」
<養老(やうろう)七年癸亥(みづのとゐ)の夏の五月に、吉野の離宮
(とつみや)に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首幷せて短歌>
巻六 九〇七(長歌)、九〇八、九〇九
※九〇七歌は、巻六の巻頭歌である。
巻六 九一〇、九一一、九一二
題詞「神龜二年乙丑夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首幷短歌」
<神龜(じんぎ)二年乙丑(きのとうし)の夏の五月に、吉野の離宮
(とつみや)に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首幷せて短歌>
巻六 九二〇(長歌)、九二一、九二二
<冬の十月に、難波(なにわ)の宮に、幸す時に、笠朝臣金村が作る
歌一首幷せえて短歌>
巻六 九二八(長歌)、九二九、九三〇
題詞「三年丙寅秋九月十五日幸於播磨國印南野時笠朝臣金村作歌一首幷短歌」
<三年丙寅(ひのえとら)の秋の九月十五日に、播磨(はりま)の国の
印南野(いなみの)に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首幷せて短歌>
巻六 九三五(長歌)、九三六、九三七
<天平(てんびやう)五年の癸酉(みずのととり)の春の閏(うるふ)
三月に、笠朝臣金村、入唐使(にふたうし)に贈る歌一首幷せて短歌>
巻八 一四五三(長歌)、一四五四、一四五五
題詞「笠朝臣金村伊香山作歌二首」
<笠朝臣金村、伊香山(いかごやま)にして作る歌二首>
巻八 一五三二、一五三三
▽笠朝臣金村歌集の歌群
題詞「霊龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首幷短歌」
<霊龜元年歳次(さいし)乙卯(きのとう)の秋の九月に、志貴皇子
(しきのみこ)の薨ぜし時に作る歌一首幷(あは)せて短歌>
巻二 二三〇(長歌)、二三一、二三二
左注「右歌笠朝臣金村歌集出」
<右の歌は、笠朝臣金村が歌集に出づ>
題詞「或本歌日」
巻二 二三三、二三 四
▽笠朝臣金村之歌中出の歌群
題詞「和歌一首」<和(こた)ふる歌一首>
巻三 三六九
左注「右作者未審 但笠朝臣金村之歌中出也」
<右は、作者いまだ審(つばり)らかにあらず。
ただし、笠朝臣金村が歌の4中(うち)に出づ>
題詞「五年戌辰幸于難波宮時作歌四首」
<五年戌辰(つちのえたつ)に、難波(なには)の宮に幸す時に作る歌四首>
巻六 九五〇、九五一、九五二、九五三
<右は、笠朝臣金村が歌の中に出づ。 或(ある)いは
車持朝臣千年(くるまもちのあそみちとせ)が作」といふ。
題詞「神龜五年戌辰秋八月歌一首幷短歌」
<神亀(じんき)五年、戌辰(つちのえたつ)の秋の八月の歌一首幷せて短歌>
巻九 一七八五(長歌)、一七八六
題詞「天平元年己巳冬十二月歌一首幷短歌」
<天平元年己巳(つちのとみ)の冬の十二月の歌一首幷せて短歌
巻九 一七八七(長歌)、一七八八、一七八九
左注「右件五首笠朝臣金村之歌中出」
<右の件(くだり)の五首は、笠朝臣金村が歌の中に出づ>
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」
※20210512朝食関連記事削除、一部改訂