万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その226-2)―京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園 「古代城陽を詠んだ万葉歌」(2)―

万葉歌碑を訪ねて(その226-2)

 

●歌碑は、京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園にある。

 

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京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園「古代城陽を詠んだ万葉歌」(2)

●歌は、「古代城陽を詠んだ万葉歌」(2)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆「栲領布の鷺坂山の白つつじ我れににほはに妹に示さむ」

柿本人麻呂歌集 巻九 一六九四)

 

この歌は、同公園の万葉花にちなんだ歌碑にもあり、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その219)で紹介している。

 

「つつじ」は、万葉集では十首ほど収録されている。「白(しら)つつじ」「石(いわ)つつじ」、「丹(に)つつじ」「つつじ花」と表現されている。それぞれをみていこう。

 

▽歌碑の「白つつじ」以外の「白つつじ」の歌をみていこう。

 

◆加座皤夜能 美保乃浦廻之 白管仕 見十方不怜 無人念者 或云見者悲霜 無人思丹

                (河辺宮人 巻三 四三四)

 

≪書き下し≫風早(かざはや)の美穂(みほ)の浦(うら)みの白(しら)つつじ見れどもさぶしなき人思へば <或いは「見れば悲しもなき人思ふに」といふ>

 

(訳)風早の三穂の海辺に咲き匂う白つつじは、このつつじは、いくら見ても心がなごまない。亡き人のことを思うと。<見れば見るほどせつない。亡き人を思うにつけて>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)美穂の浦(三穂の浦):和歌山県日高郡美浜町の三尾の海岸

(注)白つつじ:娘子が死んで白つつじと化したという伝説に基づくらしい。

(注)さぶし【寂し・淋し】形容詞:心が楽しまない。物足りない。

 

 

▽次は、「石(いわ)つつじ」である。

 

◆水傳 磯乃浦廻乃 石上乍自 木丘開道乎 又将見鴨

                (日並皇子尊舎人等 巻二 一八五)

 

≪書き下し≫水伝(みづつた)ふ礒(いそ)の浦(うら)みの岩つつじ茂(も)く咲く道をまたも見むかも

 

(訳)水に沿っている石組の辺の岩つつじ、そのいっぱい咲いている道を再び見ることがあろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)もし【茂し】形容詞:草木の多く茂るさま。しげし。 「weblio古語辞書 三省堂 大辞林 第三版」

 

▽「丹(に)つつじ」をみてみる。

 

 題詞、「四年壬申藤原宇合卿遣西海道節度使之時高橋連蟲麻呂作歌一首并短歌」<四年壬申(みづのえさる)藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)西海道(さいかいだう)の節度使(せつどし)に遣(つか)はさゆる時に、高橋連虫麻呂(たかはしのむらじみしまろ)が作る歌一首并(あは)せて短歌>

 高橋虫麻呂が、藤原宇合卿の西海道節度使となって出立するのを竜田山まで見送った時の歌である。

 

◆白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者

                (高橋連虫麻呂 巻六 九七一)

 

≪書き下し≫白雲の 竜田(たつた)の山の 露霜(つゆしも)に 色づく時に うち越えて旅行く君は 五百重山(いほへやま) い行きさくみ 敵(あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと 伴(とも)の部(へ)を 班(あか)ち遣(つか)はし 山彦(やまびこ)の 答(こた)へむ極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 国形(くにかた)を 見したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 竜田道(たつたぢ)の 岡辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの にほはむ時の 桜花(さくらばな) 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば

 

(訳)白雲の立つというその龍田の山が、冷たい霧で赤く色づく時に、この山を越えて遠い旅にお出かけになる我が君は、幾重にも重なる山々を踏み分けて進み、敵を見張る筑紫に至り着き、山の果て野の果てまでもくまなく検分せよと、部下どもをあちこちに遣わし、山彦のこだまする限り、ひきがえるの這(は)い廻(まわ)る限り、国のありさまを御覧になって、冬木が芽吹く春になったら、空飛ぶ鳥のように早く帰って来て下さい。ここ龍田道の岡辺の道に、赤いつつじが咲き映える時、桜の花も咲きにおうその時に、私はお迎えに参りましょう。我が君が帰っていらっしゃたならば。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

▽「つつじ花」の歌をみてみよう。

 

◆物不念 道行去毛 青山乎 振放見者 茵花 香未通女 櫻花 盛未通女 汝乎曽母 吾丹依云 吾叨毛曽 汝丹依云 荒山毛 人師依者 余所留跡序云 汝心勤

              (作者未詳 巻十三 三三〇五)

 

≪書き下し≫物思(ものも)はず 道行(みちゆ)く行くも 青山を 振(ふ)り放(さ)け見れば つつじ花 にほえ娘子(をとめ) 桜花(さくらばな) 栄(さか)え娘子(をとめ) 汝(な)れをぞも 我れに寄すいふ 我れともぞ 汝(な)れに寄すいふ 荒山(あらやま)も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝(な)が心ゆめ

 

(訳)何の物思いもせずに道を辿(たど)りながら、青々と茂る山を振り仰いで見ると、目に入るのは色美しいつつじ花、その花のようににおいやかなおとめよ、咲き誇っている桜花、その花のように照り輝くおとめよ、そんなお前さんを世間では私といい仲だと噂しているそうだ。こんな私をお前さんといい仲だと噂しているそうだ。荒山だって、人が引き寄せられるものだそうな。お前さん、ゆめゆめ油断するなよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

 犬養 孝氏は、その著「万葉の大和路」(旺文社文庫)のなかで、「『つつじ花』則『にほえ娘子(をとめ)』なのだ。(中略)なんと生き生きした表現であろうか。おそらく、古代山村生活者の庶民の生きた直感を思わせるような表現である。」と書かれている。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の大和路」 犬養 孝/文 入江泰吉/写真 (旺文社文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio古語辞書 三省堂 大辞林 第三版」

 

●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート

 サンドイッチは、サニーレタスと焼き豚である。フランスパンを使った。デザートは、りんごでハロウィンバージョンとした。周囲は、赤と緑のブドウの切合わせで加飾した。

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10月15日のザ・モーニングセット

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10月15日のフルーツフルデザート