●歌は、「玉くせの清き川原にみそぎして斎ふ命は妹がためこそ」である。
●歌碑は、京都府城陽市寺田 正道官衙遺跡公園にある。「古代城陽を詠んだ万葉歌」の6番目である。
●歌をみてみよう。
◆玉久世 清川原 身秡為 斎命 妹為
(作者未詳 巻十一 二四〇三)
≪書き下し≫玉くせの清き川原にみそぎして斎(いは)ふ命(いのち)は妹(いも)がためこそ
(訳)美しい川筋、その清らかな川原に出てみそぎをして、この命を清めたいせつにしているのも、みんなあの子のためなのだ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)たまくせ【玉曲瀬】〘名〙 (「たま」は美称) 浅瀬の砂や石の多いところ。河原。
(注)いはふ【斎ふ】①けがれを避け、身を清める。忌み慎む。②神としてあがめ祭る。③大切に守る。慎み守る。※注意「祝う」の古語「祝ふ」もあるが、「斎ふ」とは別語。
「玉久世」は、「たまくせの」と読んでいる。しかし、「くせ」が砂利の多いところでという解釈や広い平地を川が幾筋も流れている地形か(伊藤博著「万葉集三」脚注)、という解釈を勘案すると、漢字表記が「久世」でるから、古代城陽を詠んだとして歌碑に採択されているように思える。地名という解釈は少し無理があるのではないか。「たまくせの」で川原にかかる枕詞と解釈することもできるように思う。
この歌は、柿本人麻呂歌集の略体表記歌である。
巻十一の「寄物陳思」の中に、略体表記に典型とされる歌がある。
◆春楊葛山発雲立座妹念(巻十一 二四五三)である。
≪書き下し≫春霞(はるやなぎ) 葛山(かづらきやま)に 発(た)つ雲(くも)の 立(た)ちても居(ゐ)ても 妹(いも)をしそ念(おも)ふ
(訳)春柳を鬘(かずら)くというではないが、その葛城山(かつらぎやま)に立つ雲のように、立っても坐っても、ひっきりなしにあの子のことばかり思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
各句二字ずつ、計十字で表記されている。助辞はすべて読み添えられないと歌にならない。「立座妹念」を「(た)ちても居(ゐ)ても 妹(いも)をしそ念(おも)ふ」と読むのは、「秋去者(あきされば) 雁飛越(かりとびこゆる) 龍田山(たつたやま) 立而毛居而毛(たちてもいても) 君乎思曾念(きみをしそおもふ)」(巻十 二二九四)ならびに、「遠津人(とほつひと) 獦道之池尓(かりぢのいけに) 住鳥之(すむとりの) 立毛居毛(たちてもゐても) 君乎之曽念(きみをしぞおおふ)」(巻十二 三〇八九)が前提となっているという。
もう一つ略体歌の例をみてみよう。
◆朝影 吾身 成 玉垣入 風所見 去子故
◆朝影尓 吾身者成奴 玉蜻 髣髴所見而 往之児故尓
朝影に 吾が身は成りぬ 玉かぎる ほのかに見えて 去にしこ故に
はじめの歌は、「巻十一 二三九四歌」で次は、「巻十二 三〇八五歌」である。この歌は、同じ歌と言われている。これによって、「風」は「髣髴(ほのか)」と詠んでいたいたことがわかるという。
柿本人麻呂歌集が、現存していない。柿本人麻呂歌集が、「略体表記」であったとは言い難い。万葉集における柿本人麻呂歌集の歌とされる歌の表記方法も様々である。
万葉集より先に存在したであろうと思われる柿本人麻呂歌集を「口誦」から「記載」という過渡期でとらえると、口誦の、特に伝誦歌や伝誦にあっては、広く伝わりかなりの人の頭にあるので、略体表記でも十分意を伝えることができたとも考えられるが、「記載」に重きを置いた場合、果たして歌集を編纂した柿本人麻呂の意図がそこにあったのか、そのまま万葉集の編者が踏襲したのかは判断しにくい。
三〇八五歌の表記であれば、この歌はこう詠む歌であるとほぼ断定することができるが、二三九四歌の表記であれば、三〇八五歌のようにも詠むことができるとなってしまう。万葉集が、歌のある意味テキストとする考え方もある。そういった観点から編者は略体表意をそのまま踏襲したとも考えられる。
口誦から表記、漢字から仮名といった激動期の万葉集、そこに万葉集の万葉集たる所以があるように思う。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
サンドイッチは、ロメインレタスとトマトそして焼き豚である。デザートは、柿とりんごを使ってもみじ葉のくりぬきを配しブドウで加飾し秋を表現した。