●歌は、「秋の野のみ草刈り葺き宿れし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ」である。
●歌碑は、京都府宇治市上権現町 下居神社(おりいじんじゃ)にある。
●歌をみてみよう。
◆金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百磯所念
(額田王 巻一 七)
≪書き下し≫秋の野のみ草(くさ)刈り葺(ふ)き宿れりし宇治(うぢ)の宮処(みやこ)の仮廬(かりいほ)し思(おも)ほゆ
(訳)秋の野のみ草を刈り取って屋根を葺き、旅宿りをした宇治の宮、あの宮どころの、仮の廬(いおり)が思われる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
標題は、「明日香川原宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇」<明日香(あすか)の川原(かはら)の宮(みや)に天の下(あめのした)知らしめす天皇(すめらみこと)の代 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)>である。
題詞は、「額田王歌 未詳」<額田王(ぬかたのおほきみ)が歌 いまだ詳らかにあらず>である。
左注は、「右撿山上憶良大夫類聚歌林曰 一書戊申年幸比良宮大御歌 但紀曰 五年春正月己卯朔辛巳天皇至自紀温湯 三月戊寅朔天皇幸吉野宮而肆宴焉 庚辰日天皇幸近江之平浦」<右は、山上憶良大夫(やまのうへのおくらのまへつきみ)が類聚歌林(るいじうかりん)に検(ただ)すに、曰(い)はく、「一書には、戊申(つちのえさる)の年に比良(ひら)の宮(みや)に幸(いでま)すときの大御歌(おほみうた)」といふ。ただし、紀には「五年の春正月の己卯(つちのとう)の朔(つきたち)の辛巳(かのとみ)に、天皇紀伊の温湯(きのゆ)より至ります。三月の戊寅(つちのえとら)の朔(つきたち)に、天皇吉野の宮に幸(いでま)して肆宴(とよのあかり)したまう。庚辰(かのえたつ)の日に、天皇近江(あふみ)の比良(ひら)の浦に幸(いでま)す>である。
「金野」を「あきのの」と読むのは、五行思想にもとづく読み方であるという。五行思想によれば、「木・火・金・水」が、「春・夏・秋・冬」に対応する。色でいえば「金」には「白」が対応しているという。「白風」を「あきかぜ」と読むのもこの考えに基づいている。例をみていこう。
◆真氣長 戀心自 白風 妹音所聴 紐解往名
(作者未詳 巻十 二〇一六)
≪書き下し≫ま日(け)長く恋ふる心ゆ秋風に妹が音(おと)聞こゆ紐(ひも)解(と)き行かな
(訳)幾日もずっと恋い焦がれてきた心に、吹く秋風に乗ってあの子の気配が聞こえてくる。さあ、衣の紐を解いて行こう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)まけながく【真日長く】分類連語:長い間。※「ま」は接頭語。「け」は日数の意。
戯書といい五行思想に基づく表記など、歌の書記についても遊びがある万葉集にますます引き寄せられてしまう。
下居神社は、宇治市役所の南約500mのところにある。道路近くの一の鳥居から参道がまっすぐに、こんもりした山へと続いている。
参道の途中には道に面して、新しい住宅が建っておりその先に石段がある。その段上に二の鳥居がある。
タイムトンネルの入り口のような鳥居である。鳥居をくぐると都会の景色が一変し山道風に、そして薄暗い境内へと続いていく。異次元の感じがする。そこに社があり、その前に歌碑があった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
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