●歌は、「ちはや人宇治川波を清みかも旅行く人の立ちかてにする」である。
●歌をみていこう。
◆千早人 氏川浪乎 清可毛 旅去人之 立難為
(作者未詳 巻七 一一三九)
≪書き下し≫ちはや人(ひと)宇治川波を清みかも旅行く人の立ちかてにする
(訳)宇治川の川波があまりにも清らかであるからか、旅ゆく人がみなここを立ち去りかねている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)ちはやひと【千早人】分類枕詞:威勢の強い人の意で、「氏(うぢ)」のほめ言葉とされ、「氏」と同音の「宇治(うぢ)」にかかる。
(注)かてぬ 分類連語:…できない。…しにくい。
題詞は、「山背作」<山背作(やましろさく)>である。一一三五~一一三九歌まで五首が収録されている
一一三五~一一三八歌をみてみよう。
◆氏河齒 与杼湍無之 阿自呂人 舟召音 越乞所聞
(作者未詳 巻七 一一三五)
≪書き下し≫宇治川(うぢがは)は淀瀬(よどせ)なからし網代人(あじろひと)舟呼ばふ声をちこち聞こゆ
(訳)ここ宇治川には歩いて渡れるような緩やかな川瀬などないらしい。網代人が岸に向かって舟を呼び合う声があちこちから聞こえる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)あじろひと 【網代人】名詞:夜、「あじろ」で漁をする人。
◆氏河尓 生菅藻乎 河早 不取来尓家里 褁為益褁緒
(作者未詳 巻七 一一三六)
≪書き下し≫宇治川に生(お)ふる菅藻(すがも)を川早(はや)み採(と)らず来にけりつとにせましを
(訳)宇治川に根生えている菅藻(すがも)を、川の流れが早いので採らないで来てしまった。家の土産にすればよかったのに。(同上)
(注)つと【苞・苞苴】名詞:①食品などをわらで包んだもの。わらづと。②贈り物にする土地の産物。みやげ。
「つとにせましを」とは、なんとほほえましい歌であろうか。家族のことを思う気持ちは万葉の時代も同じだったとつくずく思う。いや、移動時間、移動距離などもちろん安全性も含めて、今よりはずっと厳しかっただけに、家族への思いは相当なものであったのだろう。
◆氏人之 譬乃足白 吾在者 今齒与良増 木積不来友
(作者未詳 巻七 一一三七)
≪書き下し≫宇治(うぢ)人(ひと)の譬(たと)への網代(あじろ)我れならば今は寄らまし木屑(こつみ)来(こ)ずとも
(訳)宇治人の譬えとして誰もが持ち出す網代、私だったらもうとっくにその網代に寄りついているであろうに。木っ端なんかやって来なくたってこの私が寄りついているであろうに。(同上)
こつみ 【木積み・木屑】名詞:木のくず。◆上代語。
※伊藤 博氏は脚注で「宇治人を、美女を引っかける男の代名詞のようにからかったものか」と書かれている。そして、木屑(こつみ)を「他の有象無象の女と譬え、私が女だったら、もうとっくにひっかかっているように」と解釈されている。
歌謡っぽい歌である。女の歌であろうか。
◆氏河乎 船令渡呼跡 雖喚 不所聞有之 檝音毛不為
(作者未詳 巻七 一一三八)
≪書き下し≫宇治川を舟渡せをと呼ばへども聞こえずあらし楫(かぢ)の音(おと)もせず
(訳)この宇治川を舟を渡してくれ、としきりに叫んでみるが、いっこうに聞こえないらしい。櫓(ろ)の音さえしてこない。(同上)
「宇治川」は近江と大和の間に存在し、そういったなかで、或る種注目を浴びたのであろう。「宇治川」よ詠んだ歌は、人麻呂以外の他の歌集にも収録されていたと思われる。
この歌群は、巻七の部立「雑歌」(一〇六八~一二九五歌)に収録されている。巻七にあっては、例えば、題詞、「詠天」では、「右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出」と左注がある。同様に、「詠雲」では「右二首」、「詠山」では「右三首」、「詠河」では「右二首」、「詠葉」では「右二首」、「羇旅作」では一一八七歌、一二四七~一二五〇歌が「柿本朝臣人麻呂之歌集出」、「就所発思」では「右二首」、「行路」では「右一首」、「旋頭歌」では「右廿三首」という具合いに「柿本朝臣人麻呂之歌集」の歌が分散された形で配置されている。
この「山背作」の歌群は、「芳野作」「山背作」「摂津作」の三つの歌群のひとつであり、これに続いて「羇旅作」の歌群が続いている。人麻呂以外の歌集からも収録し、人麻呂歌集を、ある意味お手本とした収録の仕方を採ったのかもしれない。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
サンドイッチは、ロメインレタスと焼き豚である。8分割にして皿に市松模様で配した。デザートは、柿のスライス4枚を花びら状に並べ、周囲にリンゴのカットを並べ、バナナとブドウで加飾した。