●歌は、「楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも」である。
●歌をみていこう。
◆樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛
(高市黒人 巻一 三三)
≪書き下し≫楽浪(ささなみ)の国つ御神(みかみ)のうらさびて荒れたる都見れば悲しも
(訳)楽浪の地を支配したまう国つ神の、御魂(みたま)も衰えすさんで、荒れ廃れている都、この都を見ると、悲しくてならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)ささなみの【細波の・楽浪の】分類枕詞:①琵琶(びわ)湖南西沿岸一帯を楽浪(ささなみ)といったことから、地名「大津」「志賀(しが)」「長等(ながら)」「比良(ひら)」などにかかる。②波は寄るところから「寄る」や同音の「夜」にかかる。「ささなみの寄り来る」
参考『万葉集』には、①と同様の「ささなみの大津」「ささなみの志賀」「ささなみの比良」などの形が見えるが、これらは地名の限定に用いたものであって、枕詞(まくらことば)にはまだ固定していなかったともいわれる。「さざなみの」とも。
(注)国つ神:天孫降臨以前からこの国土を治めていた土着の神。地神。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
題詞は、「高市古人感傷近江國舊堵作歌 或書云高市連黒人」<高市古人(たけちのふるひと)、近江の旧(ふる)き都(みやこ)を感傷(かな)しびて作る歌 或書には「高市連黒人」といふ>である。三一歌と三二歌がある。
三二歌もみておこう。
◆古 人尓和礼有哉 樂浪乃 故 京乎 見者悲寸
(高市黒人 巻一 三二)
≪書き下し≫古(いにしえ)の人に我(わ)れあれや楽浪(ささなみ)の古き都を見れば悲しき
(訳)遥(はる)かなる古(いにしえ)の人で私はあるのであろうか、まるで古の人であるかのように、楽浪の荒れ果てた都、ああ、この都を見ると、悲しくてならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
高市黒人(たけちのくろひと)については、コトバンク ブリタニカ国際大百科事典によるとつぎのように書かれている。
「持統,文武朝の万葉歌人。下級官吏として生涯を終えたらしい。『万葉集』に近江旧都を感傷した作があり,大宝1 (701) 年の持統太上天皇の吉野行幸,翌年の三河国行幸に従駕して作歌している。ほかに羇旅 (きりょ) の歌や妻と贈答した歌がある。『万葉集』にある黒人の歌は,高市古人あるいは高市作と伝えるものを含めて短歌 18首,すべて旅の歌である。なお,機知的な,ユーモラスな作品もあり,この時期の歌人としては珍しい存在。」
高市黒人は柿本人麻呂とほぼ同じ時代に宮廷に仕えていた。柿本人麻呂は宮廷歌人として公の立場を強く打ち出した歌が多いといわれる。これに対し、宮廷歌人であるが、黒人の場合は、個人の気持ちを歌っているのである。
三二歌は、壬申の乱後二〇年ほどたってからの近江の荒れたる京を偲んだ歌である。「うらさびて荒れたる都」というのは、上二句にある、楽浪の地におり、近江の都を栄えさせた「国つ神」がどこかに行ってしまって都が、魂が抜けた状態になった様を言っているのである。黒人は、主観的に、「見れば悲しも」と個人の気持ちを歌っているのである。
あの大化の改新の立役者である天智天皇がお造りになった近江の都が、壬申の乱でわずか一か月で滅び、荒れ果てた姿は、現実に加え天智天皇と天武天皇という兄弟の政権争いといったことが重なり、柿本人麻呂にしても高市黒人にしても、「これが現実なのか」との思いが禁じえなかったのであろう。
(参考文献
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典」
★「びわ湖大津 光くんマップ(大津市観光地図)」(大津市・(公社)びわ湖大津観光協会)
※20211202朝食関連記事削除、一部改訂