●歌は、「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」である。
●歌碑は、大津市神宮町 近江神宮前近江時計眼鏡宝飾専門学校入口にある。
(注)近江時計眼鏡宝飾専門学校は、昭和44年近江神宮時計博物館附属の学校として創設されたとある。(近江神宮HPより)
●歌をみていこう。
◆淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念
(柿本人麻呂 巻三 二六六)
≪書き下し≫近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
(訳)近江の海、この海の夕波千鳥よ、お前がそんなに鳴くと、心も撓(たわ)み萎(な)えて、いにしえのことが偲ばれてならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)ゆふなみちどり【夕波千鳥】名詞:夕方に打ち寄せる波の上を群れ飛ぶちどり。
(注)しのに 副詞:①しっとりとなびいて。しおれて。②しんみりと。しみじみと。
③しげく。しきりに。
(注)いにしへ:ここでは、天智天皇の近江京の昔のこと
中西 進氏は、この歌に関して、その著「万葉の心」(毎日新聞社)の中で、「近江の都の荒廃を嘆く目に映じた、薄暮の琵琶湖の光景である。人麻呂には、これと一連をなすと思われる、「近江荒都を過ぐる時の歌」があり、近江から上って来る時の、宇治川のほとりでよんだ短歌もある。暮れゆく湖上、浪にまぎれつつ鳴く千鳥、それらによって人麻呂の古への回想は、心もしなえるように、胸をひたした。」と書いておられる。
(注)近江荒都を過ぐる時の歌:
題詞「近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌」の長歌(二九歌)と反歌二首(三〇歌、三一歌)については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その233)」に紹介しているので、ここでは歌のみをのせておく。
◆(二九歌)玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御世(みよ)ゆ<或い「宮ゆ」といふ> 生(あ)れましし 神のことごと 栂(つが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 天(あめ)の下(した) 知らしめししを<或いは「めしける」といふ> そらにみつ 大和(やまと)を置きて あをによし 奈良山を越え<或いは「そらみつ 大和を置きて あをによし 奈良山越えて」といふ> いかさまに 思ほしめせか<或いは「思ほしけめか」といふ> 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天つ下 知らしめけむ 天皇(すめろき)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿(おほとの)は ここと言へども 春草の 茂(しげ)く生(お)ひたる 霞立つ 春日(はるひ)の霧(き)れる<或いは「霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる」といふ> ももしきの 大宮(おほみや)ところ 見れば悲しも<或いは「見れば寂しも」といふ>
◆(三〇歌)楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の唐崎(からさき)幸(さき)くあれど大宮人(おほみやひと)の舟待ちかねつ
◆(三一歌)楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の<一には「比良の」といふ>大わだ淀むとも昔(むかし)の人にまたも逢はめやも<一には「逢はむと思へや」といふ>
(注)近江から上って来る時の、宇治川のほとりでよんだ短歌:
題詞「柿本朝臣人麻呂、近江の国より上り來る時に、宇治の川辺(かはへ)に至りて作る歌一首」
◆(二六四歌)もののふも八十(やそ)宇治川の網代木(あじろき)にいさよふ波のゆくえ知らずも
人麻呂が荒れ果てた近江京をみて悲しみの気持ちをうたっているが、近江京(大津京)をみてみよう。「大津京とは、天智6 (667) 年,天皇が諸人の反対を押切って大和の飛鳥から移した都。その位置はいまの滋賀県大津市内の旧滋賀村一帯といわれるが,詳細は不明。遷都の理由は,飛鳥の旧勢力を避け人心を一新すること,さらに水陸交通の便がよいこと,対新羅防衛策などがあげられる。唐風の画然たる都城であったといわれ,内裏のほかに仏殿,西殿,西小殿,大蔵などがあった。同 10年天智天皇の没後,この帝都も弘文1 (672) 年の壬申の乱によって荒廃した。『万葉集』に柿本人麻呂,高市古人 (→高市黒人 ) らのこの荒都を悲しんだ歌が収められている。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 )
日本と親交のあった百済は、唐・新羅の連合軍に攻められ、救援を日本に求めて来た。当時の斉明天皇は九州筑紫に赴き、救援軍を半島に送るも、斉明天皇の死もあり、中大兄皇子は天皇職務を代行。しかし、六六三年百済は滅亡し、日本軍も大敗を喫したのである。中大兄皇子は。筑紫に防人をおき、軍備を固めた。大津京遷都も唐の来襲に備える措置でもあった。 しかし、危惧された唐の来襲もなく、古来より、近江の地は、渡来人によって文化が繁栄していたので、新たに百済から逃れて来た文化人を受け入れ、文化に花が咲いたのである。このような安寧の時代もつかの間、壬申の乱によって荒れ果ててしまった都を偲ぶ気持ちは察するに余りある。荒都を悲しむ歌には激動の激しさが物語られているといっても過言ではあるまい。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社)
★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「近江神宮HP」
★「びわ湖大津 光くんマップ(大津市観光地図)」(大津市・(公社)びわ湖大津観光協会)
●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
サンドイッチは、レタスとトマトそして焼き豚である。デザートは、リンゴ、柿、ミカン、ブドウのカットを十字に並べ、ミカンとブドウで加飾した。