―その252―
●歌は、「大御船泊ててさもらふ高島の三尾の勝野の渚し思ほゆ」である。
●歌碑は、高島市勝野 大溝漁港にある。
ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その249)」で、一一六九から一一七二歌までの四首は題詞「羇旅作」のなかにあり「近江」の歌であるとして、この歌も紹介している。
●もう一度、歌をみておこう。
◆大御船 竟而佐守布 高嶋之 三尾勝野之 奈伎左思所念
(作者未詳 巻七 一一七一)
≪書き下し≫大御船(おほみふね)泊(は)ててさもらふ高島(たかしま)の三尾(みを)の勝野(かつの)の渚(なぎさ)し思ほゆ
(訳)大君のお召の船が泊まって風待ちをした、高島の三尾の勝野の、渚のさまがはるかに思いやられる。(同上)
(注)さもらふ 【候ふ・侍ふ】:ようすを見ながら機会をうかがう。見守る。
(注)三尾(みを)の勝野(かつの):滋賀県高島市。琵琶湖西岸の野。
―その253―
●歌は、「旅にあれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも」である。
●歌碑は、高島市永田 しろふじ保育園南にある。
●歌をみていこう。
◆客在者 三更刺而 照月 高嶋山 隠情毛
(作者未詳 巻九 一六九一)
≪書き下し≫旅にあれば夜中(よなか)をさして照る月の高島山に隠(かく)らく惜しも
(訳)家恋しい旅の身空とて、ま夜中に向けてひとしお明るく照りわたる月が、高島の山に隠れてしまうのは残念でたまらない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
題詞は、「高島作歌二首」<高島にして作る歌二首>である。
もう一首もみておこう。
◆高嶋之 阿渡川波音 驟鞆 吾者家思 宿加奈之弥
(作者未詳 巻九 一六九〇)
≪書き下し≫高島の安曇川(あどかは)波は騒(さわ)げども我(わ)れは家思う宿(やど)り悲しみ
(訳)高島の安曇川の波は音高く逆巻いているけれども、私はただひたすら家のことばかり思っている。旅の宿りが悲しくて。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫yより)
万葉の時代の旅は、家族との通信手段がないなか、夜の明かりも今とは比べ物にならないことを考えると、不安感、家に帰りたい思いは大変なものであっただろう。これらの歌は、無事に、家に帰ることができ、旅のことを思い起こしながら歌ったのであろう。客観的に自分を見つめた気持ちが表れているように感じられる。
一六九〇歌に似た歌が、巻七 一二三八として収録されている。こちらも見ておこう。
◆竹嶋之 阿戸白波者 動友 吾家思 五百入鉇染
(作者未詳 巻七 一二三八)
≪書き下し≫高島の安曇(あど)白波は騒(さわ)けども我(わ)れは家思ふ廬(いほり)悲しみ
(訳)高島の安曇川に立つ白波は騒がしいけれども、私はただ一筋に家の妻を思っている。旅の仮寝の床の悲しさに。(同上)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「高島 万葉歌碑めぐり(前篇・後編)」(琵琶レイクオーツカHP)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「びわ湖高島観光ガイド」 (<公社>びわ湖高島観光協会HP)
●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
久しぶりに海上釣堀に出かけるため3時起床である。サンドイッチは、レタスと焼き豚である。デザートはミカンとブドウで構成した。
釣果は、3人で、メジロ1尾、トラフグ2尾、シマアジ1尾、鯛5尾であった。