●歌は、「我が背子に我が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛なり」である。
●歌をみていこう。
◆吾瀬子尓 吾戀良久者 奥山之 馬酔木花之 今盛有
(作者未詳 巻十 一九〇三)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)に我(あ)が恋ふらくは奥山の馬酔木(あしび)の花の今盛(さかり)なり
(訳)いとしいあの方に私がひそかに恋い焦がれる思いは、奥山に人知れず咲き栄えている馬酔木の花のように今真っ盛りだ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
馬酔木(あしび)は、アセビともいい、ツツジ科の常緑低木である。馬酔木を詠った歌は万葉集には、十首収録されている。列挙してみる。
◆磯之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓
(大伯皇女 巻二 一六六)
≪書き下し≫磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに
◆安志妣成 榮之君之 穿之井之 石井之水者 雖飲不飽鴨
(作者未詳 巻七 一一二八)
≪書き下し≫馬酔木なす栄えし君が掘りし井の石井の水は飲めど飽かぬかも
◆忍照 難波乎過而 打靡 草香乃山乎 暮晩尓 吾越来者 山毛世尓 咲有馬酔木乃 不悪 君乎何時 徃而早将見
(作者未詳 巻八 一四二八)
≪書き下し≫おしてる 難波(なには)を過ぎて うち靡(なび)く 草香(くさか)の山を 夕暮れに 我が越え来れば 山も狭(せ)に 咲ける馬酔木(あしび)の 悪(あ)しからぬ 君をいつしか 行きて早(はや)見む
◆川津鳴 吉野河之 瀧上乃 馬酔之花曽 置末勿勤
(作者未詳 巻十 一八六八)
≪書き下し≫かはづ鳴く吉野の川の滝(たき)の上(うえ)の馬酔木(あしび)の花ぞはしに置くなゆめ
◆吾瀬子尓 吾戀良久者 奥山之 馬酔木花之 今盛有
(作者未詳 巻十 一九〇三)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)に我(あ)が恋ふらくは奥山の馬酔木(あしび)の花の今盛(さかり)なり
◆春山之 馬酔花之 不悪 公尓波思恵也 所因友好
(作者未詳 巻十 一九二六)
≪書き下し≫春山の馬酔木(あしび)の花の悪(あ)しからぬ君にはしゑや寄そるともよし
◆三諸者 人之守山 本邊者 馬酔木花開 末邊方 椿花開 山曽 泣兒守山
(作者未詳 巻一三 三二二二)
≪書き下し≫みもろは 人の守(も)る山 本辺(もとへ)は馬酔木咲く末辺(すゑへ)は椿花咲くうらぐはし山ぞ泣く子守(も)る山
◆乎之能須牟 伎美我許乃之麻 家布美礼婆 安之婢乃波奈毛 左伎尓家流可母
(大監物御方王 巻二十 四五一一)
≪書き下し≫鴛鴦(をし)の棲(す)む君がこの山斎(しま)今日(けふ)見れば馬酔木(あしび)の花も咲きにけるかも
◆伊氣美豆尓 可氣左倍見要氐 佐伎尓保布 安之婢乃波奈乎 蘇弖尓古伎礼奈
(大伴家持 巻二十 四五一二)
≪書き下し≫池水(いけみづ)に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木(あしび)の花を袖(そで)に扱入(こき)れな
◆伊蘇可氣乃 美由流伊氣美豆 氐流麻埿尓 左家流安之婢乃 知良麻久乎思母
(大蔵大輔甘南備伊香真人 巻二十 四五一三)
≪書き下し≫礒影(いそかげ)の見ゆる池水(いけみづ)照るまでに咲ける馬酔木(あしび)の散らまく惜しも
一一二八歌の「馬酔木なす栄えし君」や一九〇三歌の「馬酔木(あしび)の花の今盛(さかり)なり」の歌では、開花の様を讃美・恋情表現に比喩的に用いる。
一九二六歌の場合は、「春山の馬酔木(あしび)の花の悪(あ)しからぬ」と同音で「あし」を掛けつつ恋情表現に用いている。一四二八歌も「山も狭(せ)に 咲ける馬酔木(あしび)の 悪(あ)しからぬ」と掛けている。
四五一一~四五一三歌の場合は題詞にあるように「山斎(しま)嘱目して」馬酔木に焦点をあて主人を讃美している。他も歌も、馬酔木の花の小さな可憐な房状の花も集まればあでやかさを発する美しさを詠っているのである。
一六六歌の大伯皇女の心情は、岩のほとりに咲いている馬酔木を手折りたいが、見てもらいたい弟は、この世にいるとはだれも言わない、と一九〇三歌同様、亡くなった人への讃えの気持ちがこの花を通して浮かんでくる。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 「創元社」
※20210509朝食関連記事削除、一部改訂。