万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その273改、274改)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(14)(15)―万葉集 巻五 七九八、巻十九 四二二六

―その273―

 

●歌は、「妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(14)(山上憶良



●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(14)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陀飛那久尓

               (山上憶良 巻五 七九八)

 

≪書き下し≫妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我(わ)が泣く涙(なみた)いまだ干(ひ)なくに

 

(訳)妻が好んで見た楝(あふち)の花は、いくら奈良でももう散ってしまうにちがいない。妻を悲しんでなく私の涙はまだ乾きもしないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)筑紫の楝の散りそうなのを見つつ奈良の楝を思って詠っている。

(注)おうち【楝・樗】① 栴檀せんだん① の古名。 ② 襲かさねの色目の名。表は薄紫、裏は青。また、表は紫、裏は薄紫。四、五月に用いる。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

   ※ あふち:現代仮名遣いは、「おうち」、漢語は「楝」

 

 「万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」)によると、「『あふち』は懐旧の情をいざなうものらしい。つまり『逢ふ路』か。『あふち』散り落ち『逢ふ』が果てれば、その先は孤独。」

 

 この歌は、題詞「日本挽歌一首」(巻五 七九四歌)の長歌反歌五首(七九五~七九九歌)の一首である。

 

 ここで、「日本挽歌」とあるのは、漢文(前文として)と漢詩と「日本挽歌」とからなる一つの作品として万葉集に収録されているのである。

 

 「漢文と漢詩」と「日本挽歌」については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その127-1と2)」の二回に分けて紹介しているのでここでは割愛させていただきます。

 

 

― その274―

 

●歌は、「この雪の消殘る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む」である。

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万葉の森船岡山万葉歌碑(14)(大伴家持

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(15)にある。

 

●歌をみていこう。

◆此雪之 消遺時尓 去来歸奈 山橘之 實光毛将見

                                    (大伴家持 巻十九 四二二六)

 

≪書き下し≫この雪の消殘(けのこ)る時にいざ行かな山橘(やまたちばな)の実(み)の照るも見む

 

(訳)この雪がまだ消えてしまわないうちに、さあ行こう。山橘の実が雪に照り輝いているさまを見よう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)やまたちばな【山橘】名詞:やぶこうじ(=木の名)の別名。冬、赤い実をつける。[季語] 冬。

 

 題詞は、「雪日作歌一首」<雪の日に作る歌一首>である。

 左注は、「右一首十二月大伴宿祢家持作之」<右の一首は、十二月に大伴宿禰家持作る>である。

             

 大伴家持越中の国守として赴任していた時の歌である。家持は、四八五首の歌を作ったといわれるが、この越中生活の中で、二二〇首と半数近くに及んでいる。また、花に関しては、生涯一三五首あり、越中だけでも七〇首であるという。望郷、家族への思いが越中の花の歌には込められているのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界―」 神野志隆光 (東京大学出版会

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

 

 

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