万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その278)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(19)―

●歌は、「港葦に交れる草のしり草の人皆知りぬ我が下思ひは」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(19)(作者未詳)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(19)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆湖葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念

                                    (作者未詳 巻十一 二四六八)

 

≪書き下し≫港葦(みなとあし)に交(まじ)れる草のしり草の人皆知りぬ我(あ)が下思(したも)ひは

 

(訳)河口の葦に交じっている草のしり草の名のように、人がみんな知りつくしてしまった。私のこのひそかな思いは。(伊藤 博 著 「万葉集三」 角川ソフィア文庫より)

(注)しりくさ【知り草・尻草】名詞:湿地に自生する三角藺(さんかくい)の別名。また、灯心草の別名ともいう(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

※上三句が序で、「知り」をおこす。

 

 文字どおり、茎の断面は三角形のような形であるから名づけられた。別名を「三角菅(さんかくすげ)」、「灯心草(とうしんぐさ)」、「鷺尻草(さぎしりくさ)」というが、単に「尻草(しりくさ)知り草」とも称した。

 

 この歌の「知り草」で初めてこの植物について知りましたが、この歌が万葉集に収録されているということは、万葉時代の人々は「知り草」を知っていたということになる。自然のなかの題材をもとに、このような歌をつくるセンスの良さに感動をおぼえる。

 この歌は、巻十一の柿本人麻呂歌集にある「寄物陳思」(二四一五~二五〇七歌)の一首である。

 

植物に寄せて思いを詠った歌をみてみよう。

 

◆我背兒尓 吾戀居者 吾屋戸之 草佐倍思 浦乾来

                 (作者未詳 巻十一 二四六五)

 

≪書き下し≫我(わ)が背子に我(あ)が恋ひ居(を)れば我(わ)がやどの草さへ思ひうらぶれにけり

(訳)私のいとおしいお方に恋い焦がれていると、私の家の草までが思いに沈んで、しょんぼり萎(しお)れてしまっている。(同上)

 

◆朝茅原 小野印 空言 何在云 公待

                (作者未詳 巻十一 二四六六)

 

≪書き下し≫浅茅原(あさぢはら)小野(をの)に標結(しめゆ)ふ空言(むなこと)をいかなりと言ひて君をし待たむ

 

(訳)浅茅原(あさじはら)の小野(おの)に標縄を張るというようなこのでまかせの嘘を、人にどのように言いつくろって、あなたをお待ちしたらよいのでしょうか。(同上)

※上二句が序。「空言」を起こす。

 

◆路邊 草深百合之 後云 妹命 我知

                (作者未詳 巻十一 二四六七)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)の草深百合(くさふかゆり)の後(ゆり)もと言ふ妹(いも)が命を我(わ)れ知らめやも

 

(訳)道端の草の茂みに咲く百合(ゆり)ではないが、いずれ後(ゆり)―あとでまた、などというあの子だが、あの子のなんか私にわかるはずがない。(同上)

※上二句が序。「後(ゆり)」を起こす。

 

◆山萵苣 白露重 浦経 心深 吾戀不止

                 (作者未詳 巻十一 二四六九)

 

≪書き下し≫山ぢさの白露(しらつゆ)重(おも)みうらぶれて心も深く我(あ)が恋やまず

 

(訳)山ぢさが白露(しらつゆ)の重さでうなだれているように、すっかりしょげてしまって、心の底も深々と、私の恋は止むことがない。(同上)

※上二句が序。「うらぶれて」を起こす。

 

 二四六九歌の 「山ぢさ」は、今でいうとエゴノキである。5~6月の枝の先に5~6個、5弁のうつむいて咲く白い花をつける。この枝先の花に白露がついてうなだれたように見て取り、その様子から自分の恋心を映し出して歌にするこの感覚の鋭さには驚かされる。テレビの番組等で、喜怒哀楽を表現するのに、単純に声を荒げるシーンが多いことを考えると、自然への接し方を教えられているように思えてくる。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」