―その298―
●歌は、「下つ毛野三毳の山のこ楢のすまぐはし子ろは誰か笥か持たむ」である。
●歌をみていこう。
◆之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波 多賀家可母多牟
(作者未詳 巻十四 三四二四)
≪書き下し≫下(しも)つ毛(け)野(の)三毳(みかも)の山のこ楢(なら)のすまぐはし子ろは誰(た)か笥(け)か持たむ
(訳)下野の三毳の山に生(お)い立つ小楢の木、そのみずみずしい若葉のように、目にもさわやかなあの子は、いったい誰のお椀(わん)を世話することになるのかなあ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)下野:栃木県
(注)三毳の山:佐野市東方の山。大田和山ともいう。
(注)す+形容詞:( 接頭 ) 形容詞などに付いて、普通の程度を超えている意を添える。 「 -早い」 「 -ばしこい」(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)まぐわし -ぐはし【目細し】:見た目に美しい。(同上)
左注は、「右二首下野國歌」<右の二首は下野の国の歌>とある。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その215改)」で紹介している。 ➡
万葉集巻十四は、冒頭に「東歌」という標目が掲げられいるので、この巻の歌は東歌(あづまうた)と言われている。左注に、上述のように「右○首□□国歌」と、国名をあげて、東国の歌を収録したものであることを明示している。
―その299―
●歌は、「藤波の影なす海の底清み沈く石をも玉とぞ我が見る」である。
●この歌については、直近のブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その256)」で紹介している。
歌のみ掲載する。
◆藤奈美乃 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曽吾見流
(大伴家持 巻十九 四一九九)
≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の影なす海の底清(きよ)み沈(しづ)く石をも玉とぞ我が見る
(訳)藤の花房が影を映している海、その水底までが清く澄んでいるので、沈んでいる石も、真珠だと私はみてしまう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)ふぢなみ【藤波・藤浪】名詞:藤の花房の風に揺れるさまを波に見立てていう語。転じて、藤および藤の花。
―その300―
●歌は、「卯の花の咲き散る岡ゆほととぎす鳴きてさ渡る君は聞きつや」である。
●歌をみていこう。
◆宇野花乃 咲落岳従 霍公鳥 鳴而沙度 公者聞津八
(作者未詳 巻十 一九七六)
≪書き下し≫卯の花の咲き散る岡(をか)ゆほととぎす鳴きてさ渡る君は聞きつや
(訳)卯の花が咲いて散っている岡の上を時鳥が鳴いて渡って行きます。あなたはその声を聞きましたか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
部立ては「問答(もんだふ)」であり、一九七六と一九七七歌が収録されている。一九七七歌をみてみよう。
◆聞津八跡 君之問世流 霍公鳥 小竹野尓所沾而 従此鳴綿類
(作者未詳 巻十 一九七七)
≪書き下し≫聞きつやと君が問はせるほととぎすしののに濡れてこゆ鳴き渡る
(訳)その声を聞いたかとあなたがお尋ねの時鳥は、しっとりと濡れながら、ここを鳴いて渡っています。(同上)
(注)しののに:雨にびっしょり濡れて
「うのはな」はユキノシタ科の落葉低木で旧暦四月ごろにたくさんの白い花をつける。幹の中が空洞になっているので、現在の植物名ではウツギ(空木)を当てている。「うのはな」を詠んだ歌は万葉集では二三首収録されているが、その多くは、ホトトギスと共に詠われており、初夏の風物として愛でられていたのであろう。
そういえば、童謡「夏は来ぬ」の歌詞も「卯の花の におう垣根に ほととぎす 早も来啼きて 忍音もらす 夏は来ぬ」とあるように、卯の花とホトトギスが詠われている。
このシリーズは、今日で300回を迎えた。毎日欠かさずブログを書いているが、通過点とはいえ、一つの区切りである。まだまだ万葉集にちょい触れた段階であるが、これからも少しでも深堀できるように頑張って行きたい。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)