―その303―
●歌は、「君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小枝も取らむとも思はず」である。
●この歌については、拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その224)」で紹介しているので、ここでは、歌のみを掲載し、「つげ」に焦点をあててみていこう。
◆君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念
(播磨娘子 巻九 一七七七)
≪書き下し≫君なくはなぞ身(み)装(よそ)はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず
(訳)あなた様がいらっしゃらなくては、何でこの身を飾りましょうか。櫛笥(くしげ)の中の黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)さえ手に取ろうとは思いません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)くしげ 【櫛笥】:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首」<石川大夫(いしかはのまへつきみ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、播磨娘子(はりまのをとめ)が贈る歌二首>である。
「つげ」は、秋には紅葉する。またその樹材は黄色いため「黄楊」とあてられる。樹材の特徴として、強く目が細く、かつ弾力に富んでいるので、櫛などの身辺用具に使われていた。万葉の時代には、植物としての意識よりも調度としての意識が強かったようである。
一七七七歌のように、「つげ」の木そのものよりも櫛などの用具に対して歌われているものが多い。もう一首みてみよう。
◆朝月 日向黄楊櫛 雖舊 何然公 見不飽
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二五〇〇)
≪書き下し≫朝月(あさづき)の日向(ひむか)黄楊(つげ)櫛(くし)古(ふ)りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ
(訳)朝月の日に向かうというではないが、使い古した日向の黄楊櫛のように、私たちの仲はずいぶん古さびてしまったけれど、どうして、あなたは、いくら見ても飽きることがないのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)朝月(あさづき):明け方にほの明りの中に残っている月痕
朝月の:「日向」の枕詞
なんともはや、仲睦まじい歌である。
―その304―
●歌は、「からたちと茨刈り除け倉建てむ尿遠くまれ櫛造る刀自」である。
●この歌も、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その209)」で紹介しているので、歌のみを掲載する。
➡
◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自
(忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)
≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)
(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
題詞は、「忌部首詠數種物歌一首 名忘失也」<忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠む歌一首 名は、忘失(まうしつ)せり>である。
万葉集に詠まれた「からたち」はこの一首のみである。中国において、カラタチは、橘と比較して、品位に欠け、鑑賞価値のない柑橘類とされてきたため、我が国においても江戸時代まではこの考え方が一般的であった。
枕草子の「名おそろしきもの」として、「青淵。谷の洞。鰭板(はたいた)。鉄(くろがね)。土塊(つちくれ)。雷(いかづち)は名のみにもあらず、いみじうおそろし。疾風(はやち)。不祥雲。矛星(ほこぼし)。肘笠雨。荒野(あらの)ら。強盗(がうだう)、またよろづにおそろし。らんそう、おほかたおそろし。かなもち、またよろづにおそろし。生霊(いきすだま)。蛇(くちなわ)いちご。鬼わらび。鬼ところ。荊(むばら)。枳殻(からたち)。炒炭(いりずみ)。牛鬼。碇(いかり)、名よりも見るはおそろし。」とあるように、「枳殻(からたち)」があげられている。
「櫛」が詠われている、先の二五〇〇歌と比べてもカラタチ同様、櫛までも貶められているとは・・・。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」