万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その308)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(49)―

●歌は、「我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(49)(大伴田村大嬢)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(49)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無

               (大伴田村大嬢 巻八 一六二三)

 

≪書き下し≫我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし

 

(訳)私の家の庭で色づいているかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はありません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)もみつ【紅葉つ・黄葉つ】自動詞:「もみづ」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かへで【楓】名詞:①木の名。紅葉が美しく、一般に、「もみぢ」といえばかえでのそれをさす。②葉がかえるの手に似ることから、小児や女子などの小さくかわいい手のたとえ。◆「かへるで」の変化した語。

(注)大伴田村大嬢 (おほとものたむらのおほいらつめ):大伴宿奈麻呂(すくなまろ)の娘。大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)は異母妹

 

題詞は、「大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌二首」<大伴田村大嬢 妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌二首>である。

 

 

もう一首もみてみよう。

 

◆吾屋戸乃 秋之芽子開 夕影尓 今毛見師香 妹之光儀乎

               (大伴田村大嬢 巻八 一六二二)

 

≪書き下し≫我がやどの秋の萩咲く夕影(ゆふかげ)に今も見てしか妹(いも)が姿を

 

(訳)私の家の庭の。秋萩の咲き匂うこの夕光の中で、今すぐにも見たいものです。あなたの姿を。(同上)

(注)ゆふかげ【夕影】名詞:①夕暮れどきの光。夕日の光。※ [反対語] 朝影(あさかげ)。②夕暮れどきの光を受けた姿・形。

 

「カエデ(楓)」は、葉が蛙の手に似ていることから、古から「かへるで」と呼ばれていた。カエデを一般的にモミジというが、これは、草木が赤や黄に色が変わることを意味する上代語の「もみつ」の名詞化した「もみち」からきている。紅葉の美しいカエデの仲間をモミジと呼ぶようになったという。

 

万葉集では、モミヂを詠んだ歌は数多いが、もっとも「黄葉」が圧倒的であるが、「かへるで」を詠んだ歌は、一六二三歌以外では三四九四歌のみである。

 

こちらもみておこう。

 

◆兒毛知夜麻 和可加敝流弖能 毛美都麻弖 宿毛等和波毛布 汝波安杼可毛布

               (作者未詳 巻十四 三四九四)

 

≪書き下し≫児毛知山(こもちやま)若(わか)かへるでのもみつまで寝(ね)もと我(わ)は思(も)ふ汝(な)はあどか思ふ

 

(訳)児毛知山、この山の楓の若葉がもみじするまで、ずっと寝たいと俺は思う。お前さんはどう思うかね。

(注)寝も:「寝む」の東国形

(注)あど<副詞>どのように。どうして。※「など」の上代の東国方言か。(学研)

 

このようなストレートな表現ならびに方言を交えた「東歌」、これらを収録するのも万葉集万葉集たる所以であろう。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」