―その314―
●歌は、「我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも」である。
―その315―
●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。
題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首」<天平勝寶(てんぴょうしょうほう)三年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首>である。四一三九歌は、万葉集巻十九の冒頭歌である。
この二首については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その129)」奈良県橿原市南浦町万葉の森にある。橿原万葉の森第9弾として紹介している。また直近では、同「同(その199)」でも取り上げている。ここでは、歌のみを掲載する。
◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬
(大伴家持 巻十九 四一三九)
※▼は「女+感」であり「女+感心」「嬬」で「をとめ」
≪書き下し≫春の園、紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)
(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」角川ソフィア文庫より)
(注)いでたつ:出て行ってそこに立つ(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
中国最古の「詩経」にも「桃夭(とうよう)」という一篇で、桃の灼々たる様子が若い女のたとえとして歌われているという。桃の花は「をとめ」の象徴として歌われているのである。上の句と下の句は同じことの繰り返し、すなわち「桃の花」は「娘子(おとめ)」である。上の句は、「春の園」、「紅」、「桃の花」と名詞の連続が、言葉で情景を浮きだたせている。最後が「娘子」と締め、情景を強烈に映し出しているのである。
四一四〇歌
◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遺在可母
(大伴家持 巻十九 四一四〇)
≪書き下し≫我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも
(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」角川ソフィア文庫より)
(注)はだれ 【斑】:「斑雪(はだれゆき)」の略 (学研)
※はだれゆき 【斑雪】:はらはらとまばらに降る雪。また、薄くまだらに
降り積もった雪。「はだれ」「はだらゆき」とも。
「李(すもも)」の実がいかに好まれてきたは、「瓜田(かでん」に履(くつ)を納れず、李下(ちか)に冠(かんむり)を正さず」という故事成語からみてもうかがえる。
瓜の畑の中で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われる。また、李(すもも)の木の下で冠を被り直せば、李を盗むと疑われるということから。要は、人などに疑われるような事はするなということである。(weblio辞書 Wiktionary日本語版<日本語カテゴリ>)
―その316―
●歌は、「玉掃刈り来鎌麻呂むろの木と棗が本とかき掃かむため」である。
●この歌についても、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その202)」で紹介している。歌は次の通りである。
◆玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹 與棗本 可吉将掃為
(長忌寸意吉麿麻呂 巻十六 三八三〇)
≪書き下し≫玉掃(たまばはき)刈(か)り来(こ)鎌麻呂(かままろ)むろの木と棗(なつめ)が本(もと)とかき掃(は)かむため
(訳)箒(ほうき)にする玉掃(たまばはき)を刈って来い、鎌麻呂よ。むろの木と棗の木の根元を掃除するために。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)むろのき 【室の木・杜松】分類連語:木の名。杜松(ねず)の古い呼び名。海岸に多く生える。
題詞は、「詠玉掃鎌天木香棗歌」<玉掃(たまばはき)、鎌(かま)、天木香(むろ)、棗(なつめ)を詠む歌>である。
「棗(なつめ)」は、落葉小高木で、初夏になると淡く黄色いかわいらしい花をつける。棗の実は漢方薬として使われてきた。利尿、強壮、鎮痛に効くといわれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio辞書 Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」