●歌は、「油火の光に見ゆる我がかづらさ百合の花の笑まはしきかも」である。
●歌をみていこう。
◆安夫良火乃 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母
(大伴家持 巻十八 四〇八六)
≪書き下し≫油火(あぶらひ)の光に見ゆる我がかづらさ百合(ゆり)の花の笑(ゑ)まはしきかも
(訳)油火の光の中に浮かんで見える私の花縵、この縵の百合の花の、何とまあほほ笑ましいことよ。((伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)あぶらひ【油火】名詞:灯油に灯心を浸してともすあかり。灯火。※後に「あぶらび」とも。((weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ゑまふ【笑まふ】分類連語:①にこにこする。ほほえむ。②花のつぼみがほころびる。※上代語。(同上)
題詞は、「同月九日諸僚會少目秦伊美吉石竹之舘飲宴 於時主人造白合花縵三枚疊置豆器捧贈賓客 各賦此縵作三首」<同じき月の九日に、諸僚、少目(せうさくわん)秦伊美吉石竹(はだのいみきいはたけ)が館(たち)に会(あ)ひて飲宴(うたげ)す。時に、主人(あるじ)、白合(ゆり)の花縵(はなかづら)三枚を造りて、豆器(とうき)に畳(かさ)ね置き、賓客(ひんきゃく)に捧げ贈る。おのもおのもこの縵を賦(ふ)して作る三首>である。
四〇八六歌の左注は、「右一首守大伴宿祢家持」<右の一首は、守(かみ)大伴宿禰家持>である。
続く二首もみていこう。
◆等毛之火能 比可里尓見由流 佐由理婆奈 由利毛安波牟等 於母比曽米弖伎
(介内蔵伊美吉縄麻呂 巻十八 四〇八七)
≪書き下し≫燈火(ともしび)の光りに見ゆるさ百合花(ゆりばな)ゆりも逢(あ)はむと思ひそめてき
(訳)燈火の光の中に浮かんで見える百合の花、その名のようにゆり―将来もきっと逢おうと思い始めたことでした。(同上)
(注)ゆり【後】名詞:後(のち)。今後。※上代語。(学研)
左注は、「右一首介内蔵伊美吉縄麻呂」<右の一首は介(すけ)内蔵(くら)の伊美吉(いみき)縄麻呂(つなまろ)>である。
◆左由理婆奈 由利毛安波牟等 於毛倍許曽 伊末能麻左可母 宇流波之美須礼
(大伴家持 巻十八 四〇八八)
≪書き下し≫さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ
(訳)百合の花、その花のようにゆり―将来もきっと逢いたいと思うからこそ、今の今もこんなに親しませていただいているのです。(同上)
(注)うるはしみす 【麗しみす・愛しみす】他動詞:親しみ愛する。仲むつまじくする。(学研)
(注)まさか【目前】名詞:さしあたっての今。現在。(学研)
左注は、「右一首大伴宿祢家持和」<右の一首は、大伴宿禰家持和(こた)ふ>である。
「ゆり」は万葉集では十首が収録されている。分布からみて九首はササユリと考えられている。ササユリと言えば、奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)と奈良市の率川神社(いさがわじんじゃ)が頭に浮かぶ。
大神神社のHPによると次のように記されている。「6月17日の『三枝祭』に先立ち6月16日に、本社の大神神社から御神花の笹百合を率川神社に届ける『ささゆり奉献神事』が執り行われます。大神神社での祭典後、笹百合を駕籠に納めてJR三輪駅から万葉まほろば線に乗車しJR奈良駅へ。JR奈良駅からは黒漆塗りの花車に御神花を移し替えます。そして笹百合で飾った菅笠に百合を描いた浴衣姿の踊りの社中が『ささゆり音頭』を踊りながら花車を先導して、奉献の行列は奈良市街を賑やかに進みます。最後に率川神社に笹百合を届け、献花の祭典が行われます。」
「ささゆり」は大神神社の神花であるが、年々数が減少してきているので、同社では「ささゆり園」を設け栽培を続けているそうである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
★「大神神社HP」