万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その327、328)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(68、69)―

―その327―

●歌は、「臥いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔の花」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(68)(作者未詳)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(68)である。

 

●この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その283)」で朝顔の花5首の1首として紹介している。

ここでは、歌のみみていこう。

 

◆展轉 戀者死友 灼然 色庭不出 朝容㒵之花

                (作者未詳 巻十 二二七四)

 

≪書き下し≫臥(こ)いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出(い)でじ朝顔(あさがほ)の花

 

(訳)身悶えて恋死にすることはあっても、この思いをはっきり顔色に出したりはいたしますまい。朝顔の花みたいには。((伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)こいまろぶ【臥い転ぶ】自動詞:ころげ回る。身もだえてころがる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いちしろく>いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。

※ 参考古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。

 

 

―その328―

●歌は、「玉櫛笥みもろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(68)(藤原鎌足

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(69)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆玉匣 将見圓山乃 狭名葛 佐不寐者遂尓 有勝麻之自  或本歌日玉匣三室戸山乃

               (藤原鎌足 巻二 九四)

 

≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)みもろの山のさな葛(かづら)さ寝(ね)ずはつひに有りかつましじ  或る本の歌には「たまくしげ三室戸山の」といふ

 

(訳)あんたはそんなにおっしゃるけれど、玉櫛の蓋(ふた)ならぬ実(み)という、みもろの山のさな葛(かずら)、そのさ寝ずは―共寝をしないでなんかいて―よろしいのですか、そんなことをしたらとても生きてはいられないでしょう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

             

 題詞は、「内大臣藤原卿報贈鏡王女歌一首」<内大臣藤原卿、鏡王女に報(こた)へ贈る歌一首>である。

 

 この九四歌を含む九一~九五歌の五歌は、同じ時のものではないが、「天智天皇と鏡王女」、「鏡王女と藤原鎌足」、「藤原鎌足采女」として一つのロマンスの流れをまとめたものである、と伊藤 博氏は、その著「萬葉相聞の世界」(塙書房)の中で述べられている。

 

 

九一歌からみていこう。

 

―「九一歌」―

 標題は、「近江大津宮御宇天皇代 天命開別天皇 謚曰天智天皇」<近江(あふみ)の大津(おほつ)の宮(みや)に天の下知らしめす天皇の代 天命開別天皇(あめのことひらかすわかねのすめらみこと)、 謚(おくりな)して天智天皇(てんちてんのう)といふ>である。

題詞は、「天皇賜鏡王女御歌一首」<天皇、鏡王女(かがみのおほきみ)に賜ふ御歌一首>である。

 

◆妹之家毛 継而見麻思乎 山跡有 大嶋嶺尓 家母有猿尾<一云妹之當継而毛見武尓 一云家居麻之乎>

               (天智天皇 巻二 九一)

 

≪書き下し≫妹(いも)が家(いへ)も継(つ)ぎて見ましを大和(やまと)なる大島(おほしま)の嶺(ね)に家(いへ)もあらましを≪一には「妹があたり継ても見むに」といふ。一には、「家居らましを」といふ。>

 

(訳)せめてあなたの家だけでもいつもいつも見ることができたらなあ。大和のあの大島の嶺に我が家でもあったらなあ。<あの子いるあたりをいつもいつも見たいと思うにつけても><家居して住みつくことができたらなあ>((伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

―「九二歌」―

 題詞は、「鏡王女奉和御歌一首」<鏡王女、和(こた)へ奉(まつ)る御歌一首>である。

 

◆秋山之 樹下隠 逝水乃 吾許曽益目 御念従者

               (鏡王女 巻二 九二)

 

≪書き下し≫秋山の木(こ)の下(した)隠(がく)り行く水の我(わ)れこそ増すま)さめ思ほすよりは

 

(訳)秋山の木々の下を隠れ流れる川の水かさが増してゆくように、私の思いの方がまさっているでしょう。あなたが私を思って下さるよりは。(同上)

 

 

―「九三歌」―

 題詞は、「内大臣藤原卿娉鏡王女時鏡王女贈内大臣歌一首」<内大臣藤原卿(うちのおほまへつきみふぢはらのまへつきみ)、鏡王女を娉(つまど)ふ時に、鏡王女が内大臣に贈る歌一首>である。

 

◆玉匣 覆乎安美 開而行者 君名者雖有 吾名之惜裳

               (鏡王女 巻二 九三)

 

≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)覆(おほ)ひを易(やす)み明けていなば君が名はあれど我(わ)が名し惜しも

 

(訳)玉櫛笥の覆いではないが、二人の仲を覆い隠すなんてわけないと、夜が明けきってから堂々とお帰りになっては、あなたの浮名が立つのはともかく、私の名が立つのが口惜しうございます。(同上)

(注)つまどふ【妻問ふ】自動詞:「妻問(つまど)ひ」をする。

 

 

―九五歌―

 題詞は、「内大臣藤原卿娶釆女安見兒時作歌一首」<内大臣藤原卿、釆女(うねめ)の安見兒(やすみこ)を娶(めと)る時に作る歌一首>である。

 

◆吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利

                (藤原鎌足 巻二 九五)

 

≪書き下し>我(わ)れはもや安見児(やすみこ)得たり皆人(みなひと)の得(え)かてにすとふ安見児得たり

 

(訳)おれはまあ安見児を得たぞ。お前さんたちがとうてい手に入れがたいと言っている、この安見児をおれは我がものとしたぞ。(同上)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」