●歌は、「真葛原靡く秋風吹くごとに阿太の大野の萩の花散る」である。
●歌をみていこう。
◆真葛原 名引秋風 毎吹 阿太乃大野之 芽子花散
(作者未詳 巻十 二〇九六)
≪書き下し≫真葛原(まくずはら)靡(なび)く秋風吹くごとに阿太(あだ)の大野(おほの)の萩の花散る
(訳)葛が一面に生い茂る原、その原を押し靡かせる秋の風が吹くたびに、阿太の大野の萩の花がはらはらと散る。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)阿太の大野:奈良県五條市阿太付近の野。大野は原野の意。
中西 進氏は、その著「万葉の心」(毎日新聞社)のなかで、「『万葉集』でもっとも美しい歌の一つだが、萩の情趣はこうした万葉びとと本来の野べにあった。」と述べておられる。
桃山時代以降、秋の草といえば、「菊」であるが、古代・中世では「萩」が最も重要とされていた。万葉集では、約百四十首が詠まれ、梅の約百二十首を凌いで筆頭であることは、万葉びとがいかに萩を愛したかを物語っている。
この歌における「くず」はほんの前座にすぎない。
集中、「くず」を詠んだ歌は17首収録されている。「くず」は根からでんぷんをとり、また蔓(つる)からは葛布(くずふ)を作るなど生活面では多方面に活躍しているので、花だけが歌の対象になっていなかったのである。
奈良県HP「はじめての万葉集 vol.28 『葛(くず)はふ夏』」によると、「夏から秋にかけて、河川敷や郊外の歩道、高速道路の路肩などに大きな葉っぱと長いツルが特徴的な植物を目にしたことはありませんか?紅紫色の香しい花房がついている時もあります。それが葛(くず)です。
葛は『万葉集』に詠まれており、古代から身近にある植物でした。強靭なツルが長くのびた様子をあらわす「真田葛延ふ」は永く絶えないことを比喩した表現です。「かく恋ひ」はそんな葛のツルが夏野に生い茂るように、絶えず思い続ける恋をいいます。苦しい恋ですね。
繁殖力が旺盛ですので現在は厄介な雑草と化している葛ですが、じつはとても生活に役立つ植物でもあります。
たとえば、根は薬用や食用になります。葛根湯(かっこんとう)や葛粉(くずこ)はご存知ですね。なかでも吉野の本葛は高級和菓子の原料となることから全国的にも有名です。ちなみに古代の甘味料に「甘葛(あまずら)」がありますが、これは蔓(つる)(一説にはアマチャヅル)から抽出したもので、葛が原料ではありません。
葉にはアミノ酸が豊富に含まれ、食べることができます。家畜の飼料として利用していた地域もあったそうです。また裏面が白いため、風に吹かれると遠くからも目立って、独特の風情があります。
ツルからは良質の繊維がとれ、これを紡いで織ったものを葛布(かっぷ)といい、絹のような美しい光沢があります。今も静岡県掛川(かけがわ)で数軒の工房がその技術を伝えています。
このように、葛には無駄な部分がほとんどないといってよいでしょう。有効に利用したいものですね。」とある。
このHPに掲げられていた歌は「真田葛延(まくずは)ふ 夏野(なつの)の繁く かく恋(こ)ひばまことわが命(いのち)常(つね)ならめやも」(作者未詳 巻十 一九八五)である。「葛が一面に這い広がる夏の野の茂み、その茂みのようにこんなに激しく恋い焦がれていたら、ほんとに私の命はいつまでもつかわかったものではない。」(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社)
★「はじめての万葉集(vol28)『葛(くず)はふ夏』」(奈良県HP)