●歌は、「淺茅原つばらつばらにもの思へば古りにし里し思ほゆるかも」である。
●歌をみていこう。
◆淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞
(大伴旅人 巻三 三三三)
≪書き下し≫浅茅(あさぢ)原(はら)つばらつばらにもの思(も)へば古(ふ)りにし里し思(おも)ほゆるかも
(訳)浅茅原(あさじはら)のチハラではないが、つらつらと物思いに耽っていると、若き日を過ごしたあのふるさと明日香がしみじみと思い出される。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)あさぢ 【浅茅】名詞:荒れ地に一面に生える、丈の低いちがや。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)あさぢはら【浅茅原】分類枕詞:「ちはら」と音が似ていることから「つばら」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)つばらつばらに【委曲委曲に】副詞:つくづく。しみじみ。よくよく。
「チガヤ」はイネ科で初夏にかけて、葉に先立って花穂がでるが、これは「つばな」と詠っている。浅茅原(あさじはら)のチガヤの花穂「つばな」ではないが、「つばらつばらに」のほうが自然ではと思われる。
この歌は、題詞「帥大伴卿歌五首」<帥大伴卿(そちおほとものまえつきみ)が歌五首>の一首である。他の四首をみてみよう。
◆吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成
(大伴旅人 巻三 三三一)
≪書き下し≫我(わ)が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
(訳)私の盛りの時がまた返ってくるだろうか、いやそんなことは考えられない。ひょっとして、奈良の都を見ないまま終わってしまうのではなかろうか。(同上)
(注)をつ【復つ】自動詞:元に戻る。若返る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ほとほと(に)【殆と(に)・幾と(に)】副詞:①もう少しで。すんでのところで。危うく。②おおかた。だいたい。
◆吾命毛 常有奴可 昔見之 象小河乎 行見為
(大伴旅人 巻三 三三二)
≪書き下し≫我(わ)が命(いのち)も常にあらぬか昔見し象(さき)の小川(をがは)を行きて見むため
(訳)私の命、この命もずっと変わらずにあってくれないものか。その昔見た象の小川、あの清らかな流れを、もう一度行ってみるために。(同上)
(注)象の小川(きさのおがわ)については、奈良県吉野町HP「記紀万葉」に次のように書かれている。「象の小川(きさのおがわ):喜佐谷の杉木立のなかを流れる渓流で、やまとの水31選のひとつ。吉野山の青根ヶ峰や水分神社の山あいに水源をもつ流れがこの川となって、吉野川に注ぎます。万葉集の歌人、大伴旅人もその清々しさを歌に詠んでいます。」
吉野・明日香への望郷の思いを詠っている。
◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為
(大伴旅人 巻三 三三四)
≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付(つ)く香具山の古(ふ)りにし里を忘れむがため
(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)でも触れている。
◆吾行者 久者不有 夢乃和太 湍者不成而 淵有毛
(大伴旅人 巻三 三三五)
≪書き下し≫我(わ)が行きは久(ひさ)にはあらじ夢(いめ)のわだ瀬にはならずて淵(ふち)にしありこそ
(訳)私の筑紫在住はそんなに長くはあるまい。あの吉野の夢のわだよ。浅瀬なんかにならず深い淵のままであっておくれ。(同上)
(注)わだ【曲】名詞:入り江など、曲がった地形の所。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
大伴旅人が太宰帥として神亀四,五年頃に赴任している。年は六〇歳を過ぎていた。このころ都では藤原氏が勢力をもたげてきており、名門大伴家は没落の一途であった。さらに不幸なことに旅人が九州に赴任してほどなく妻、大伴郎女を亡くしてしまう。このようなやりきれなさが、旅人に歌を作らせることになったのである。旅人の歌は七十首ほどあるが、ほとんどが九州大宰府で作られている。
九州は「天離(あまざか)る鄙(ひな)」であるから、上記のような望郷の歌が生まれるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」