万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その341)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(82)―

●歌は、「岩つなのまたをちかえりあをによし奈良の都をまたも見むかも」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(82)(作者未詳)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(82)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又将見鴨

                 (作者未詳 巻六 一〇四六)

 

≪書き下し≫岩つなのまたをちかへりあをによし奈良の都をまたも見むかも

 

(訳)這(は)い廻(めぐ)る岩つながもとへ戻るようにまた若返って、栄えに栄えた都、奈良の都を、再びこの目に見ることができるであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)岩つな:蔓性の植物。「またをちかへり」の枕詞。

(補注)「コトバンク 動植物名よみかた辞典 普及版」によると、「岩綱 (イワツナ)は、定家葛の古名,岩に這う蔦や葛の総称」とある。

(注)をちかへる【復ち返る】自動詞:①若返る。②元に戻る。繰り返す。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

この歌を含む一〇四四から一〇四六歌の歌群の、題詞は、「傷惜寧樂宮荒墟作歌三首 作者不審」<寧楽の京の荒墟(くわうきよ)を傷惜(いた)みて作る歌三首 作者審らかにあらず>である。

他の二首をみてみよう。

 

◆紅尓 深染西 情可母 寧樂乃京師尓 年之歴去倍吉

             (作者未詳 巻六 一〇四四)

 

≪書き下し≫紅(くれなゐ)に深く染(し)みにし心(こころ)かも奈良(なら)の都に年の経(へ)ぬべき

 

(訳)紅に色深く染まるように都に深くなじんだ気持ちのままで、私はこれから先、ここ奈良の都で年月を過ごせるのであろうか。(同上)

 

◆世間乎 常無物跡 今曽知 平城京師之 移徙見者

            (作者未詳 巻六 一〇四五)

 

≪書き下し≫世間(よのなか)を常(つね)なきものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば

 

(訳)世の中とは、何とはかないものかということを、今こそ思い知った。この奈良の都が日ごとにさびれてゆくのを見ると。(同上)

 

 天平十二年(740年)から同十七年(745年)に奈良遷都まで奈良は古京と化した。

 木津川市教育委員会発行の「恭仁京 よみがえる古代の都」という小冊子によると、発掘調査により恭仁京大極殿の礎石据付痕跡や基壇の一部、正面中央階段等が発掘されたという。また、この調査や歴史書続日本紀(しょくにほんぎ)」によって恭仁京大極殿建物は、第一次平城京大極殿を移築したものであることが明らかになった、と記されている。

 当時の平城京のシンボル的存在であったと思われる、大極殿が移築されたのであるから、さびれた方は想像できよう。

 

 

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平城京第1次大極殿

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「コトバンク 動植物名よみかた辞典 普及版」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「恭仁京 よみがえる古代の都」 (木津川市教育委員会