●歌は、「岩つなのまたをちかえりあをによし奈良の都をまたも見むかも」である。
●歌をみていこう。
◆石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又将見鴨
(作者未詳 巻六 一〇四六)
≪書き下し≫岩つなのまたをちかへりあをによし奈良の都をまたも見むかも
(訳)這(は)い廻(めぐ)る岩つながもとへ戻るようにまた若返って、栄えに栄えた都、奈良の都を、再びこの目に見ることができるであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)岩つな:蔓性の植物。「またをちかへり」の枕詞。
(補注)「コトバンク 動植物名よみかた辞典 普及版」によると、「岩綱 (イワツナ)は、定家葛の古名,岩に這う蔦や葛の総称」とある。
(注)をちかへる【復ち返る】自動詞:①若返る。②元に戻る。繰り返す。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌を含む一〇四四から一〇四六歌の歌群の、題詞は、「傷惜寧樂宮荒墟作歌三首 作者不審」<寧楽の京の荒墟(くわうきよ)を傷惜(いた)みて作る歌三首 作者審らかにあらず>である。
他の二首をみてみよう。
◆紅尓 深染西 情可母 寧樂乃京師尓 年之歴去倍吉
(作者未詳 巻六 一〇四四)
≪書き下し≫紅(くれなゐ)に深く染(し)みにし心(こころ)かも奈良(なら)の都に年の経(へ)ぬべき
(訳)紅に色深く染まるように都に深くなじんだ気持ちのままで、私はこれから先、ここ奈良の都で年月を過ごせるのであろうか。(同上)
◆世間乎 常無物跡 今曽知 平城京師之 移徙見者
(作者未詳 巻六 一〇四五)
≪書き下し≫世間(よのなか)を常(つね)なきものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば
(訳)世の中とは、何とはかないものかということを、今こそ思い知った。この奈良の都が日ごとにさびれてゆくのを見ると。(同上)
天平十二年(740年)から同十七年(745年)に奈良遷都まで奈良は古京と化した。
木津川市教育委員会発行の「恭仁京 よみがえる古代の都」という小冊子によると、発掘調査により恭仁京大極殿の礎石据付痕跡や基壇の一部、正面中央階段等が発掘されたという。また、この調査や歴史書「続日本紀(しょくにほんぎ)」によって恭仁京の大極殿建物は、第一次平城京の大極殿を移築したものであることが明らかになった、と記されている。
当時の平城京のシンボル的存在であったと思われる、大極殿が移築されたのであるから、さびれた方は想像できよう。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「コトバンク 動植物名よみかた辞典 普及版」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」