万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その345)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(86)―

●歌は、「むし衾なごやが下に伏せれども妹とし寝ねば肌し寒しも」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(86)(藤原大夫)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(86)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆蒸被 奈胡也我下丹 雖臥 与妹下宿者 肌之寒霜

             (藤原大夫 巻四 五二四)

 

≪書き下し≫むし衾なごやが下に伏せれども妹とし寝ねば肌し寒しも

 

(訳)むしで作ったふかふかと暖かい夜着にくるまって横になっているけれども、あなたと一緒に寝ているわけではないから、肌寒くて仕方がない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)むし【苧/枲/苧麻】:イラクサ科の多年草。原野にみられ、高さ1~2メートル。茎は木質。葉は広卵形で先がとがり、裏面が白い。夏、淡緑色の小花を穂状につける。茎から繊維をとって織物にする。真麻(まお)。ちょま。(コトバンク 小学館 デジタル大辞泉

(補注)「むし」は「虫」すなわち「蚕」のことで、それから作った絹の夜具という説もある。

(注)ふすま【衾・被】名詞:寝るときに身体にかける夜具。かけ布団・かいまきなど。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)なごや【和や】名詞:やわらかいこと。和やかな状態。※「や」は接尾語。

 

 五二二から五二四歌までの三首の題詞は、「京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 卿諱日麻呂也」<京職(きやうしき)藤原大夫が大伴郎女(おほとものいらつめ)に贈る歌三首 卿、諱を麻呂といふ>である。

(注)藤原大夫:藤原不比等の第四子

(注)諱【いみな】:① 生前の実名。生前には口にすることをはばかった。② 人の死後にその人を尊んで贈る称号。諡(おくりな)。③ 《①の意を誤って》実名の敬称。貴人の名から1字もらうときなどにいう

 

他の二首もみておこう。

 

◆「▼」嬬等之 珠篋有 玉櫛乃 神家武毛 妹尓阿波受有者

                (藤原大夫 巻四 五二二)

    「▼」は、女偏に「感」と書く。「▼嬬」で「をとめ」と読む。

 

≪書き下し≫娘子(をとめ)らが玉櫛笥(たまくしげ)なる玉櫛の神(かむ)さびけむも妹(いも)に逢はずあれば

 

(訳)をとめの玉櫛笥(たまくしげ)に納めてある玉櫛の神さびているように、私の方はずいぶん古ぼけたじいさんになったことだろうね。あなたに長いこと逢わずにいるから。(同上)

(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】名詞:櫛(くし)などの化粧道具を入れる美しい箱。※「たま」は接頭語。歌語。

たまくしげ 玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(学研)

(注)かみさぶ【神さぶ】自動詞:①神々(こうごう)しくなる。荘厳に見える。②古めかしくなる。古びる。③年を取る。(学研)

 

 

◆好渡 人者年母 有云乎 何時間曽毛 吾戀尓来

               (藤原大夫 巻四 五二三)

 

≪書き下し≫よく渡る人は年にもありといふをいつの間にぞも我(あ)が恋ひにける

 

(訳)よく堪える人は、年に一度の逢瀬でも待てるというのに、いったいいつの間に、私はこんなに激しい恋心を持つようになってしまったのだろう。とても我慢できません。(同上)

(注)わたる【渡る】自動詞:①越える。渡る。②移動する。移る。③行く。来る。通り過ぎる。④(年月が)過ぎる。経過する。(年月を)過ごす。(年月を)送る。暮らす。⑤行き渡る。広く通じる。及ぶ。⑥〔多く「せ給(たま)ふ」とともに用いて〕いらっしゃる。おられる。(学研)

 

 題詞にあるように、この三首の歌は、「藤原大夫が大伴郎女(おほとものいらつめ)に贈る歌」である。「私的」なしかも「恋文」的色彩が強い、どちらかと言えば、人前にさらされたくない内容である。これらが、万葉集に収録されていることに改めて驚きを覚える。私的要素が強いだけに、どこで、どのようにして記録されたのであろうか。 

 またその記録がどのような形で万葉集の編者の手に渡ったのか。歌垣のような掛け合い的、貴族的な場がこしらえられ、公式的に私的な感情をも代表させた形で、「歌を作り」それが記録されたと考えるのが無難であるとも思われる。 

 仁徳天皇の皇后、磐姫皇后の歌は、民謡的なものをあたかも劇のように並べて作られたものという説が強い。この場合は、編者がシナリオライターであるが、藤原大夫の場合は、自身がシナリオライターである想定場面で詠ったのかもしれない。もっとも、この三首に対して大伴郎女が「大伴郎女が和(こた)ふる歌四首」(五二五から五二八歌)があるので、場には、両者とも居合わせていると考えるのが自然であろう。

 ああ、万葉集とは・・・・・

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「コトバンク 小学館 デジタル大辞泉

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」