万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その350)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(91)―万葉集 巻十七 四〇一六

●歌は、「婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(91)(高市黒人

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(91)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆賣比能野能 須ゝ吉於之奈倍 布流由伎尓 夜度加流家敷之 可奈之久於毛倍遊

              (高市黒人 巻十七 四〇一六)

 

≪書き下し≫婦負(めひ)の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日(けふ)し悲しく思ほゆ

 

(訳)婦負(めひ)の野のすすきを押し靡かせて降り積もる雪、この雪の中で一夜の宿を借りる今日は、ひとしお悲しく思われる。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)婦負(めひ)の野:富山市から、その南にかけての野。

 

この歌に歌われている「すすき」については、漢字では「芒」、国字では「薄」と書く。文学的には花穂の姿が獣の尾に似ていることから「尾花」と称されれる。万葉集では十五首ほど詠まれている。

 

中西 進氏は、その著「万葉の心」(毎日新聞社)のなかで、「この孤独の詩人の見た雪は、(中略)旅路の野宿に降りしきる雪であり、旅愁を象徴するものであった。」と書いておられる。高市黒人はそのような歌人であったか。

 

次の歌をみてみよう。

 

◆何所尓可 船泊為良武 安礼乃崎埼 榜多味行之 棚無小舟

               (高市黒人 巻一 五八)

 

≪書き下し≫いづくにか舟泊(ふなは)てすらむ安礼(あれ)の崎漕(こ)ぎ廻(た)み行きし棚(たな)なし小舟(をぶね)

 

(訳)今頃、どこに舟泊(ふなど)まりしているのであろうか。さっき安礼(あれ)の崎を漕ぎめぐって行った、あの横板もない小さな舟は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

五八歌の題詞は、「二年壬寅(みずのえとら)に、太上天皇(おほきすめらみこと)、三河(みかは)の国に幸(いでま)す時の歌」である。持統天皇三河行幸されたときにお供していて、宮廷歌人として歌を詠っている。

しかし、公的な歌というより独特の孤独感的自己感覚を前面に出している。

行幸であれば、お供も当然複数であり、その中にあって、自己感覚の強い「孤独感」を詠っているのである。

 

次の歌も、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その250)」でとりあげたが、同様の感覚である。重複するが記載してみる。

 

◆何處 吾将宿 高嶋乃 勝野原尓 此日暮去者

              (高市黒人 巻三 二七五)

 

≪書き下し≫いづくにか我(わ)が宿りせむ高島の勝野の原にこの日くれなば。

 

(訳)いったいどのあたりでわれらは宿をとることになるのだろうか。高島の勝野の原でこの一日が暮れてしまったならば。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

上二句で、「いづくにか我(わ)が宿りせむ」と、主観的に、不安を先立たせ、目の前の現実の土地「高島の勝野の原」に落とし込む。「この日くれなば」と状況を畳みかけているのである。夕暮れ迫る中、西近江路を急ぐ不安な気持ちが時を越えて伝わってくるのである。

 

或る程度の複数者の不安な気持ちを代弁していると思われるが、独特の孤独感的自己感覚をにじみださせるリズム感あふれる独特の詠いぶりである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社