万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その355)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(96)―

●歌は、「道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(96)(丈部鳥)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(96)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟

                (丈部鳥 巻二十 四三五二)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)の茨(うまら)のうれに延(は)ほ豆(まめ)のからまる君をはかれか行かむ

 

(訳)道端の茨(いばら)の枝先まで延(は)う豆蔓(まめつる)のように、からまりつく君、そんな君を残して別れて行かねばならないのか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)うまら【茨・荊】名詞:「いばら」に同じ。※上代の東国方言。「うばら」の変化した語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うれ【末】名詞:草木の枝や葉の先端。「うら」とも。

(注)「延(は)ほ」:「延(は)ふ」の東国系

 

 「うまら」は、いばらの古語で棘(とげ)あるものの総称である。「道の辺(へ)の茨(うまら)」となっているのでノイバラと考えられてる。

 ノイバラは、日本の野生バラの代表種である。

 万葉集では、「うまら」とよまれているのはこの一首だけである。「うばら」と詠まれているものも集中一首のみであるこの歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その209)」でとりあげている。歌のみ再掲載する。

 

◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自

               (忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)

 

≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)

 

(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞は、「忌部首詠數種物歌一首 名忘失也」<忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠む歌一首 名は、忘失(まうしつ)せり>である。

 

歌碑の歌にもどるが、この歌の上三句「道の辺(へ)の茨(うまら)のうれに延(は)ほ豆(まめ)の」は、「からまる」を起こす序になっている。まつわりついて離れようとしない愛しい妻を振り切って、任に赴く防人の心情を歌い上げている。

 この歌は、「上総(かみつふさ)の国」の防人部領使(さきもりのことりづかひ)によって、進(たてまつ)られている。

 東国、上総の国という「故郷」を離れ、愛しい妻からも離れ、難波の港から筑紫に赴いたのである。防人たちは農民たちのなかから選出されているのである。「防人」に任じられるや、このような「五七五七七」形式の歌が歌えるのだろうか。

 「大君の命」が、彼らを妻や故郷から引き離す力が強力であるさまが、歌の心情が心情だけに逆に浮き彫りになってくる。防人と共に、防人部領使によって「五七五七七」形式に整った歌が奉られていることが「明記」されている。このことは、本来中央とは、言語や文化までが異なる「東国」まで中央の威光が及んでいたことを如実に示しており、そのことも踏まえて万葉集の防人の歌も編纂されたのであろう。

 ここにも、万葉集万葉集たる所以がみえてくる。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉集と日本人」 読み継がれる千二百年の歴史」 小川靖彦 著 (角川選書

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「太陽 特集万葉集」(平凡社