万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その361)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(102)―

●歌は、「高円の野辺のかほ花面影に見えつつ妹は忘れかねつも」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(102)(大伴家持

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(102)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆高圓之 野邊乃容花 面影尓 所見乍妹者 忘不勝裳

              (大伴家持 巻八 一六三〇)

 

≪書き下し≫高円(たかまと)の野辺(のへ)のかほ花(ばな)面影(おもかげ)に見えつつ妹(いも)は忘れかねつも

 

(訳)高円の野辺に咲きにおうかお花、この花のように面影がちらついて、あなたは、忘れようにも忘れられない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)かほ花:「かほばな」については、カキツバタオモダカムクゲアサガオヒルガオといった諸説がある。

 

この歌は、長歌(一六二九歌)の反歌である。題詞は、「大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌一首并短歌」<大伴宿禰家持、坂上大嬢に贈る歌一首并(あは)せて短歌>である。

 

長歌の方もみてみよう。

 

◆叩ゝ 物乎念者 将言為便 将為ゝ便毛奈之 妹与吾 手携而 旦者 庭尓出立 夕者床打拂 白細乃 袖指代而 佐寐之夜也 常尓有家類 足日木能 山鳥許曽婆 峯向尓 嬬問為云 打蝉乃 人有我哉 如何為跡可 一日一夜毛 離居而 嘆戀良武 許己念者 胸許曽痛 其故尓 情奈具夜登 高圓乃 山尓毛野尓母 打行而 遊徃杼 花耳 丹穂日手有者 毎見 益而所思 奈何為而 忘物曽 戀云物呼

               (大伴家持 巻八 一六二九)

 

≪書き下し≫ねもころに 物を思へば 言はむすべ 為(せ)むすべもなし 妹(いも)と我(あ)れと 手たづさはりて 朝(あした)には 庭に出(い)で立ち 夕(ゆうへ)には 床(とこ)うち掃(はら)ひ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)さし交(か)へて さ寝(ね)し夜や 常にありける あしひきの 山鳥(やまどり)こそば 峰(を)向(むか)ひに 妻どひすといへ うつせみの 人なる我れや 何(なに)すとか 一日(ひとひ)一夜(ひとよ)も 離(さか)り居(ゐ)て 嘆き恋ふらむ ここ思へば 胸こそ痛き そこ故(ゆゑ)に 心なぐやと 高円(たかまど)の 山にも野にも うち行きて 遊びあるけど 花のみ にほひてあれば 見るごとに まして偲はゆ いかにして 忘れむものぞ 恋といふものを

 

(訳)つくづくと物を思うと、何と言ってよいか、どうしてよいか、処置がない。あなたと私と手と手を交わして、朝方には庭に下り立ち、夕方には寝床を払い清めては、袖を交わし合って共寝した夜が、いったいいつもあったであろうか。あの山鳥なら、谷を隔てて向かいの峰に妻どいをするというのに、この世の人である私は、何だってまあ一日一夜を離れているだけで、こんなにも嘆き慕うのであろうか。このことを思うと胸が痛んでならない。それで心のなごむこともあるかと、高円の山にも野にも、馬に鞭打って出かけて行き遊び歩いてみるけれど、花ばかりがいたずらに咲いているので、それを見るたびにいっそう思いがつのる。いったいどのようにしたら忘れることができるであろうか。この苦しい恋というものを。(同上)

(注)ねもころに>ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形 (Weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。※「さ」は接頭語。(学研)

(注)なぐ【和ぐ】自動詞:心が穏やかになる。なごむ。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「Weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」