万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その378,379)―奈良県宇陀市 極楽寺、榛原西小学校―

―その378―

●歌は、「遠つ人猟道の池に棲む鳥の立ちても居ても君をしぞ思ふ」である。

 

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極楽寺万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、奈良県宇陀市 極楽寺にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆遠津人 獦道之池尓 住鳥之 立毛居毛 君乎之曽念

                (作者未詳 巻十二 三〇八九)

 

≪書き下し≫遠(とほ)つ人猟道(かりぢ)の池に棲(す)む鳥の立(た)ちても居(ゐ)ても君をしぞ思ふ

 

(訳)遠来の客であるにちなみの道の池に棲む鳥が、飛び立ったり浮かんだりするように、立つ時となく坐る時となく、いつもあなたのことを思っています。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)とほつひと【遠つ人】分類枕詞:①遠方にいる人を待つ意から、「待つ」と同音の「松」および地名「松浦(まつら)」にかかる。②遠い北国から飛来する雁(かり)を擬人化して、「雁(かり)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

人麻呂歌集の「略体」の典型と言われる、巻十一 二四五三歌、「春楊葛山発雲立座妹念」は、「春楊(はるやなぎ) 葛山(かづらき)に 発(た)つ雲(くも)の 立(た)ちても居(ゐ)ても 妹(いも)をしそ念(おも)ふ」と、助辞はすべて読み添えてはじめて歌の体をなす。この詠み添えの前例ととして挙げられるのがこの三〇八九歌である。下二句「立毛居毛 君乎之曽念」<立(た)ちても居(ゐ)ても君をしぞ思ふ>が手本となっているのである。

 

 

―その379―

●歌は、「大君は神にしませば真木の立つ荒山中に海をなすかも」である。

 

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榛原西小学校万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、奈良県宇陀市 榛原西小学校運動場奥にある。

 

●歌をみていこう。

なお、この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(111)」で紹介している。

 

◆皇者 神尓之坐者 真木乃立 荒山中尓 海成可聞

            (作者未詳 巻二 二四一)

 

≪書き下し≫大君は神にしませば真木(まき)の立つ荒山中(あらやまなか)に海を成すかも

 

(訳)わが大君は神であらせられるので、杉や檜の茂り立つ人気のない山中に海をお作りになっている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)まき【真木・槇】:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう。

(注)あらやま【荒山】:人けのない、さびしい山。

(注)海:猟路の池を、皇子の力によってできた海とみてこう言った。

 

 題詞は、「或本反歌一首」<或本(あるほん)の反歌一首>とある。伊藤 博氏は前述書の脚注で「二四〇に対する初案か。長歌に対して孤立している。」と書いておられる。

 

 二三九から二四一歌の題詞は、「長皇子遊獦路池之時柿本朝臣人麻呂作歌一首幷短歌」<長皇子(ながのみこ)、猟路(かりぢ)の池に遊(いでま)す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)獦路池(かりぢのいけ):奈良県宇陀市榛原区の宇田川、芳野川合流点付近の池かという。

 

この榛原西小学校運動場奥の万葉歌碑の裏面には「二三九ならびに二四〇歌」が書かれていたのである。うっかり見落としてしまった。折角、市役所でいただいた資料を確認しなかった。反省!

 

二三九歌(長歌)ならびに二四〇歌(短歌)をみてみよう。

 

◆八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃 馬並而 三獦立流 弱薦乎 獦路乃小野尓 十六社者 伊波比拜目 鶉己曽 伊波比廻礼 四時自物 伊波比拜 鶉成 伊波比毛等保理 恐等 仕奉而 久堅乃 天見如久 真十鏡 仰而雖見 春草之 益目頬四寸 吾於富吉美可聞

               (柿本朝臣人麻呂 巻二 二三九)

 

≪書き下し≫やすみしし 我が大君(おほきみ) 高光(たかひか)る 我が日の御子(みこ)の 馬並(うまな)めて 御狩(みかり)立たせる 若薦(わかこも)を 猟路(かりぢ)の小野(おの)に 鹿(しし)こそば い匐(は)ひ拝(をろが)め 鶉(うづら)こそ い匐(は)ひ廻(もとほ)れ 鹿(しし)じもの い匐(は)ひ拝(をろが)み 鶉(うづら)なす い匐(は)ひ廻(もとほ)り 畏(かしこ)みと 仕(つか)へまつりて にさかたの 天(あめ)見るごとく まそ鏡 仰(あふ)ぎて見れど 春草(はるくさ)の いやめづらしき 我が大君かも

 

(訳)あまねく天下を支配せられるわが主君、高々と天上に光ろ輝く日の神の皇子、このわが皇子が、馬を勢揃いして御狩りに立っておられる猟路野(かりじの)の御猟場では、鹿は膝を折って匍(は)うようにしてお辞儀をし、鶉はうろうろとおそばを匍(は)いまわっているが、われらも、その鹿のように匍(は)って皇子をうやまい、その鶉のように匍(は)いまわって皇子のおそばを離れず、恐れ多いことだと思いながらお仕え申し上げ、はるか天空を仰ぐように皇子を仰ぎ見るけれども、春草のようにいよいよお慕わしく心ひかれるわが大君でいらっしゃいます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】<枕詞>「わが大君」「わご大君」にかかる。

(注)たかひかる【高光る】<枕詞>空高く輝くの意で。「日」にかかる。                       

(注)わかこもを【若薦を】<枕詞>「猟(かり)」にかかる。

(注)まそかがみ【真十鏡・真澄鏡】<枕詞>まそ鏡を、見る・懸ける・床の辺に置く・磨ぐの意で、「見る」「敏馬(みぬめ)(地名)」等にかかる。 「まそ」は十分に整ったの意。

 

 

 二四〇歌の序詞は、「反歌一首」である。

 

◆久堅乃 天歸月乎 網尓刺 我大王者 盖尓為有

               (柿本朝臣人麻呂 巻二 二四〇)

 

≪書き下し≫ひさかたの天行く月を網(あみ)に刺し我(わ)が大君は盍(きぬがさ)にせり

 

(訳)天空高く渡る月、この月を網を張って捕えて、われらの大君は、今しも盍(きぬがさ)にしていらっしゃる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)天行く月:月を背に夕狩りに出で立つ皇子の姿をこう言った。

(注)網に刺し:網を張って捕えて

(注)盍(きぬがさ):貴人のうしろからさしかける織物製の傘。

 

二三九歌の長歌遊猟の様子が詠われており、この内容との整合性といった点では、二四〇歌で詠われている内容との整合性はあるが、二四一歌はなじまない。

 

「市内の万葉歌碑ガイドマップ」(宇陀市商工観光課)では、二四一歌は「作者未詳」となっており、「碑陰とある、二三九ならびに二四〇歌の作者は、「柿本人麻呂」となっており、前述の考えを支持しているといえる。

 

 

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榛原西小学校万葉歌碑と校庭

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「うだ記紀・万葉」(宇陀市HP)

★「市内の万葉歌碑ガイドマップ」 (宇陀市商工観光課)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」