●歌は、「さを鹿の来立ち鳴く野の秋萩は露霜負ひて散りにしものを」
●歌をみていこう。
◆棹壮鹿之 来立鳴野之 秋芽子者 露霜負而 落去之物乎
(文忌寸馬養 巻八 一五八〇)
≪書き下し≫さを鹿の来立ち鳴く野の秋萩は露霜負ひて散りにしものを
(訳)雄鹿がやって来てしきりに鳴き立てている野の萩、この野の萩妻は露を浴びてすっかり散ってしまったではありませんか。何ともせつなく思われます。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)さをしか【小牡鹿】名詞:雄の鹿(しか)。※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)つゆしも【露霜】名詞:露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。(学研)
(注)文祢麻呂:渡来系氏族西文氏出身の官人で、壬申の乱の際大海人皇子(天武天皇)を助け軍功をたて、707年に没するまで天武政権の重臣として活躍した。江戸時代に偶然発見されたその墳墓は発掘調査によって古代の上級官人の埋葬方法が明らかになった数少ないもので、飛鳥時代の代表的な火葬墓である。(「うだ記紀・万葉」宇陀市HP)
左注は、「右二首文忌寸馬養 天平十年戊寅秋八月廿日」<右の二首は、文忌寸(あやのいみき)馬養(うまかひ) 天平十年戊寅(つちのえとら)の秋の八月の二十日>
一五七四から一五八〇歌までの題詞は、「右大臣橘家宴歌七首」<右大臣橘家にして宴(うたげ)する歌七首>である。
他の六首もみてみよう。
◆雲上尓 鳴奈流鴈之 雖遠 君将相跡 手廻来津
(高橋保安麻呂 巻八 一五七四)
≪書き下し≫雲の上(うへ)に鳴くなる雁(かり)の遠けども君に逢はむとた廻(もとほ)り来(き)つ
(訳)雲の上で鳴いている雁のように、遠い所ではありますが、あなた様にお目にかかろうと、めぐりめぐりしてやって参りました。(同上)
(注)上二句(雲の上に鳴くなる雁の)は序、「遠けども」を起こす。
(注)もとほる【廻る】自動詞:〔多く「立つ」「行く」「這(は)ふ」などの連用形に付いて〕巡る。回る。(学研)
◆雲上尓 鳴都流鴈乃 寒苗 芽子乃下葉者 黄變可毛
(高橋保安麻呂 巻八 一五七五)
≪書き下し≫雲の上(うへ)に鳴きつる雁の寒きなへ萩の下葉(したば)はもみちぬるかも
(訳)雲の上で鳴いた雁の声が寒々と感じられる折も折、お屋敷一帯の萩の下葉はすっかり色づきましたね。何と見事なことでしょう。(同上)
(注)なへ 接続助詞:《接続》活用語の連体形に付く。〔事柄の並行した存在・進行〕…するとともに。…するにつれて。…するちょうどそのとき。(学研)
◆此岳尓 小牡鹿履起 宇加埿良比 可聞可開為良久 君故尓許曽
(巨曽倍津嶋 巻八 一五七六)
≪書き下し≫この岡に小雄鹿(さをしか)踏(ふ)み起しうかねらひかもかもすらく君故(ゆゑ)にこそ
(訳)この岡で鹿を追い立てて窺(うかが)い狙うように、あれやこれやと心を尽くすのも、みんなあなた様を思ってのことなのです。(同上)
(注)うかねらふ【窺狙ふ】他動詞:(ようすを)うかがってねらう。(学研)
(注)かもかも=かもかくも 副詞:ああもこうも。どのようにも。とにもかくにも。
(注)上三句は序、第四句「かもかもすらく」を起こす。
左注は、「右一首長門守巨曽倍朝臣津嶋」<右の一首は長門守(ながとのかみ)巨曽倍朝臣(こそべのあそみ)対馬(つしま)>である。
◆秋野之 草花我末乎 押靡而 来之久毛知久 相流君可聞
(阿倍蟲麻呂 巻八 一五七八)
≪書き下し≫秋の野の尾花(をばな)が末(うれ)を押しなべて来(こ)しくもしるく逢へる君かも
(訳)秋の野の尾花の穂先を押し伏せてやって来た甲斐があって、あなた様にお目にかかることができました。(同上)
◆今朝鳴而 行之鴈鳴 寒可聞 此野乃淺茅 色付尓家類
(阿倍蟲麻呂 巻八 一五七九)
≪書き下し≫今朝(けさ)鳴きて行きし雁し音(ね)寒(さむ)みかもこの野の浅茅(あさぢ)色づきにける
(訳)今朝鳴いて行った雁の声、その声が寒々としていたせいか、この野の浅茅までもが見事に色づきました。(同上)
左注は、「右二首阿倍朝臣蟲麻呂」<右の二首は安倍朝臣(あへのあそみ)蟲麻呂(むしまろ)>である。
◆朝扉開而 物念時尓 白露乃 置有秋芽子 所見喚鶏本名
(文忌寸馬養 巻八 一五七九)
≪書き下し≫朝戸(あさと)開(あ)け物思(ものも)ふ時に白露の置ける秋萩見えつつもとな
(訳)朝の戸を開けて物思いにふけっている時に、白露の置いている萩の、あわれな風情がやたらと目について仕方がありません。(同上)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「市内の万葉歌碑ガイドマップ」 (宇陀市商工観光課)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」