万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その386)―大阪府交野市星田 星田妙見宮―万葉集 巻十七 三九〇〇

●歌は、「織女し舟乗りすらしまそ鏡清き月夜に雲立ちわたる」である。

 

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交野市星田妙見宮万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、大阪府交野市星田 星田妙見宮にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多奈波多之 船乗須良之 麻蘇鏡 吉欲伎月夜尓 雲起和多流

                (大伴家持 巻十七 三九〇〇)

 

≪書き下し≫織女(たなばた)し舟乗(ふなの)りすらしまそ鏡清き月夜(つくよ)に雲立ちわたる

 

(訳)今しも天の川に、織姫が彦星の迎えの舟に乗って漕ぎ進んでいるらしい。清らかに月の輝くこの晴れた夜に、雲が湧き上がってぐんぐん広がってゆく。((伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞は、「十年七月七日之夜獨仰天漢聊述懐一首」<十年の七月の七日の夜に、独り天漢(ああのがは)を仰ぎて、いささかに懐(おもひ)を述ぶる一首>である。

(注)天平十年(738年)

(注)あまのがは 【天の川・天の河・〈天漢〉・〈銀漢〉】銀河系内の無数の恒星が天球の大円に沿って帯状に見えるのを川に見立てたもの。七月七日の七夕の夜、牽牛(けんぎゆう)と織女がこの川を渡って年に一度会うという。ミルキー-ウエー。 (三省堂 大辞林 第三版)

 

左注は、「右一首大伴宿祢家持作」<右の一首は、大伴宿禰家持作る>である。

 

 

 星田妙見宮は、平安時代弘法大師が交野へ来られ、獅子窟寺吉祥院の獅子の窟でお経を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、地上に落ちた場所と言い伝えられている。

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星田妙見宮鳥居と歌碑

 

境内の案内板には、我が国の隕石落下の記録として2番目に古いとされ、弘仁七年(816年)とある。この山の大部分が吹っ飛ばされたと記されている。

 

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隕石落下記録説明案内板

また、神明帳には、小松大明神と記されており小松神社とも称される。

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小松神社銘碑

 

現在の枚方市、交野市のあたり一帯は平安時代の頃には「交野が原」と呼ばれ、古くから七夕伝説が伝わっている。

 

万葉集では、「彦星」は、他に「牽牛」、「男星」と表記している。織女星とともに中国から伝来した七夕伝説の主人公である。二星は1年に1度、7月7日の夜逢うことができるが、中国の伝説では織女星牽牛星のもとを訪れるというもの。それに対して日本では彦星が織女を訪れるというのが多い。これは日本の妻問い婚の習慣を反映してのものであろう。(國學院大學デジタル・ミュージアム

万葉集では百三十を超える七夕の歌が収録されている。中国から伝来した七夕伝説が万葉の時代に定着していたことがうかがえる。

 

星田妙見宮は、大阪府交野市星田9丁目60-1にある。ちなみに、交野市のゆるキャラは、「おりひめちゃん」であり、「古くから交野に伝わる七夕伝説の織姫をあしらった、明るくキュートな今ドキの女の子」である。(交野市HP)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「交野市HP」

★「星田妙見宮HP」

★「國學院大學デジタル・ミュージアム

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」