●歌は、「棚機の五百機立てて織る布の秋さり衣誰か取り見む」である。
●歌をみていこう。
◆棚機之 五百機立而 織布之 秋去衣 孰取見
(作者未詳 巻十 二〇三四)
≪書き下し≫織女(たなばた)の五百機(いほはた)立てて織る布の秋さり衣(ごろも)誰(た)れか取り見む
(訳)織姫がたくさんの機(はた)を据えて織っている布、その布で仕立てる初秋の着物は、いったいどなたが取り上げて見るのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)たなばた【七夕・棚機】① 五節句の一。七月七日に行う牽牛星と織女星を祭る行事。庭に竹を立て、五色の短冊に歌や字を書いて枝葉に飾り、裁縫や字の上達などを祈る。奈良時代に中国から乞巧奠(きつこうでん)の習俗が伝来し、古来の「たなばたつめ」の伝説と結びついて宮中で行われたのに始まる。近世には民間にも普及。また、盆の習俗との関連も深い。七夕祭り。星祭。しちせき。 [季] 秋。② 機(はた)を織ること。また、その人。たなばたつめ。③ 織女(しよくじよ)星。たなばたつめ。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)いほ【五百】名詞:五百(ごひやく)。また、数の多いことのたとえ。※「い」は五、「ほ」は百の意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)あきさりごろも【秋さり衣】名詞:秋になって着る着物。(学研)
機物神社(はたもの神社)については、同神社HPによると、「機物神社の呼称及び七夕伝説との結び付きについては諸説ありますが、一説によると、古代、枚方市『津田』を『秦田(はただ)』、交野市の『寺』を『秦山(はたやま)』、『倉治(くらじ)』を『秦者(はたもの)』といっていた時代がありました。
神社の名称はこの『秦者』の人たちが祀る社ということで、『ハタモノの社』が本来の呼び名であったと思われますが、
後に七夕伝説と結び付けられて、『秦』の機織りの『機』に換えて現在の機物神社のイメージ作りが行われたといわれています。
起源は古く四~五世紀にあるとも考えられますが、五~六世紀の頃に秦氏に代表される交易商人によって組織された養蚕布織の技術を持った民が大陸から渡来して、一部の集団が東部産地の麓に定住した時といわれています。」とある。
「倉治」交差点を頂点にV字型に同神社の境内が広がっている。頂点側の鳥居に向かって右側にハート型を模したような現代風の万葉歌碑がある。参道を進むと左手に拝殿が見えて来る。拝殿に向かって右手の建屋のなかに「織姫のはたおりき」のコーナーが設けて有り、機織り機と交野市のゆるキャラ「おりひめちゃん」が飾られていた。万葉歌碑もそうであるが、時代を超越した融合を見せているところである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「機物神社HP」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」