●歌は、「我ろ旅は旅と思ほど家にして子持ち痩すらむ我が妻愛しも」である。
●歌碑は、三重県津市 三重県護国神社にある。この歌のある灯篭は、拝殿に向かって右脇道の拝殿から2番目である。
●歌をみていこう。
◆和呂多比波 多比等於米保等 已比尓志弖 古米知夜須良牟 和加美可奈志母
(玉作部広目 巻二十 四三四三)
≪書き下し≫我ろ旅は旅と思(おめ)ほど家(いひ)にして子(こ)持(め)ち痩(や)すらむ我が妻(み)愛(かな)しも
(訳)おれは、どうせ旅は旅だと諦めもするけれど、家で子を抱えてやつれている妻がいとおしくてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)我ろ:「我れ」の訛り
(注)おめほど【思ほど】分類連語:思うけれども。 ※「思へど」の意の上代東国方言。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)いひ【家】名詞:家(いえ)。 ※上代の東国方言。(学研)
(注)妻(み):妻(め)の訛り
左注は、「右一首玉作部廣目」<右の一首は玉作部広目(たまつくりべのひろめ)>である。
防人としての任務を果たしてくるといった気持ちを前に出しつつも、「家で子を抱えてやつれている妻がいとおしくてならない」と詠う妻への愛情を素直に訴えている。
このように妻への愛情を歌い上げている歌をもう一首みてみよう。
◆阿之可伎能 久麻刀尓多知弖 和藝毛古我 蘇弖母志保ゝ尓 奈伎志曽母波由
(刑部直千國 巻二十 四三五七)
≪書き下し≫葦垣(ひしがき)の隈処(くまと)に立ちて我妹子(わぎもこ)が袖もしほほに泣きしぞ思(も)はゆ
(訳)菱垣の隅っこに立って、いとしいあの子が袖も絞るばかりに泣き濡れていた姿、その姿が思い出されてならない。((伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)くまと【隈所・隈処】名詞:物陰。隠れた所。
(注)しほほに 副詞:びっしょりと。ぐっしょりと。▽涙などにぬれるようすを表す。
四三四三歌は、「我が妻(み)愛(かな)しも」と直接的に愛情を表現しているのに対し、四三五七歌の方は、出発にあたっての妻の様子をなつかしく思い浮かべていることを詠い、一層妻への思いを間接的ではあるものの強く打ち出しているのである。いずれにしろ、妻への深い愛情を歌い上げている。
防人の歌をどのように解釈するか、どのように作者の考え方に迫るか等、時代的背景で変わることも否めない。時代的背景をベースとした万葉集の編集された意図や「読まれ方」などにも今後機会をみて迫って行きたい。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」