●歌は、「真木柱ほめて造れる殿のごといませ母刀而面変はりせず」である。
●歌碑は、三重県津市 三重県護国神社の拝殿に向かって左脇道拝殿側の灯篭である。
●歌をみていこう。
◆麻氣波之良 實米弖豆久礼留 等乃能其等 已麻勢波ゝ刀自 於米加波利勢受
(坂田部首麻呂 巻二十 四三四二)
≪書き下し≫真木柱(まけばしら)ほめて造れる殿(との)のごといませ母刀自(ははとじ)面(おめ)変(が)はりせす
(訳)真木柱、その立派な柱を寿(ことほ)いで建てた御殿のように、いついつまでも達者でいてください、母上。面やつれなさることなく。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)まきはしら【真木柱】名詞:杉や檜(ひのき)などの材木で作った、太くてりっぱな柱。宮殿や邸宅に用いた。「まけはしら」「まきばしら」とも。
(注)ほむ【誉む・褒む】他動詞:①(幸福・繁栄がもたらされることを)祈りたたえる。ことほぐ。祝う。②称賛する。ほめる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)との【殿】名詞:御殿(ごてん)。貴人の邸宅。(学研)
(注)います【坐す・在す】自動詞:いらっしゃる。おいでになる。▽「あり」の尊敬語。(学研)
(注)ははとじ【母刀自】名詞:母君。母上。▽母の尊敬語。(学研)
(注)おもがはり【面変はり】名詞:①顔付きが変わること。②物のようすが変わること。(学研)
残してきた親への心情を詠った歌には胸打たれる。
もう一首みてみよう。
◆等知波ゝ江 已波比弖麻多祢 豆久志奈流 美豆久白玉 等理弖久麻弖尓
(川原虫麻呂 巻二十 四三四〇)
≪書き下し≫父母(とちはは)え斎(いは)ひて待たね筑紫(つくし)なる水漬(みづ)く白玉取りて来(く)までに
(訳)父さん母さん、斎(い)み慎んで待っていてください。筑紫の海の底にあるという真珠、その白玉を取って帰って来る日まで。(同上)
(注)とちはは;ちちははの訛り
(注)みづく【水漬く】自動詞:水に浸る。水につかる。(学研)
「筑紫なる」と「水漬く」のつく、つくは考え過ぎか?
もう一首みてみよう。
◆知ゝ波ゝ我 可之良加伎奈弖 佐久安例弖 伊比之氣等婆是 和須礼加祢豆流
(丈部稲麻呂 巻二十 四三四六)
≪書き下し≫父母(ちちはは)が頭(かしら)掻(か)き撫(な)で幸(さ)くあれて言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる
(訳)父さん母さんが、おれのこの頭を撫でながら、達者でなと言ったあの言葉が、忘れようにも忘れられない。(同上)
(注)かきなづ【搔き撫づ】他動詞:(頭を)なでる。(頭を撫でて無事を祈る習慣)
(注)あれて:「あれと」の訛り
(注)言葉(けとば)ぜ:「言葉(ことば)ぞ」の訛り
左注は、「右一首丈部稲麻呂」<右の一首は丈部稲麻呂(はせべのいなまろ)>である。
防人の歌は、なぜ防人達に詠わせ、作らせたのか、その意図がいまひとつ読み解けない。制度の妥当性を訴えさせるためとはとても思えない。また防人達は農民などのであるので、「歌の素養」を考えると、本当に彼らが詠ったものなのかという疑問もわいてくる。難波の地で、東国各地から引き連れてきて引き渡す際に「歌」が「進(たてまつ)」られている。難波の地で家持がその任にあたり、「歌」を集めている。
しかし、集めるためには、どういう意図で作らせたのかがわからない。定型的な歌でもって、中央の「権威」が東国にまで及んでいることをしめす必要性を説く考え方もあるようであるが、それならば、防人の歌の「言立て」等がごくわずかで、「わたくしごと」的な「悲別」の歌が多いのだろうか。
万葉集の当時の位置づけがふっとわからなくなる。ここにも万葉集の魅力が隠されているのだろうか。今後の課題である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史」 小川靖彦 著 (角川選書)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」