万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その404)―長浜市湖北町 早崎尾上片山園地(野田沼畔)―

●歌は、「葦辺には鶴がね鳴きて港風寒く吹くらむ津乎の崎はも」である。

 

 

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早崎尾上片山園地(野田沼畔)万葉歌碑(若湯座王

●歌碑は、長浜市湖北町 早崎尾上片山園地(野田沼畔)にある。

 


●歌をみていこう。

 

◆葦邊波 鶴之哭鳴而 湖風 寒吹良武 津乎能埼羽毛

                                                                         (若湯座王 巻三 三五二)

 

≪書き下し≫葦辺(あしへ)には鶴(たづ)がね鳴きて港風(みなとかぜ)寒く吹くらむ津乎(つを)の崎はも

 

(訳)今頃、葦辺(あしべ)には鶴が鳴いて港風が寒々と吹いているのであろう、ああ、あの津乎(つお)の崎よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞は、「若湯座王歌一首」<若湯座王(わかゆゑのおほきみ)が歌一首>である。

(注)若湯座王:伝未詳。万葉集にはこの一首のみ。

 

長浜市役所・木之本支所➡早崎尾上片山園地(野田沼畔)

 

 長浜市役所・木之本支所から野田沼までは、ほぼ南下する形でさざなみ街道県道44号線を進む。約15分程度で野田沼に到着。44号線から一本入ったところの道沿いの駐車場に車を止め辺りを散策する。早崎尾上片山園地という案内板が立っている。公園を間違ったのかとナビに従って少し移動するも、この近くで間違いないと確信、もう一度駐車場に戻り、歌碑を探す。(ナビなどでは「野田沼緑地公園」と表示されているが、現地ではこの名前は確認できず。)

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早崎尾上片山園地案内板

 

野田沼は、びわ湖の内湖である。

 内湖とは、「コトバンク 2008-04-27 朝日新聞 朝刊 大特集」によると、「琵琶湖の周辺にある水域をいい、内陸に張り巡らされた水路を通じて、町へも琵琶湖へも行き来できる。ヨシを船で運んだり、風よけの港になったりして暮らしと強く結びついていた。農地開拓のための干拓が1942年に始まり、37あった内湖は71年には25にまで減少、25平方キロの水域が消えた。残る内湖のうちで最大の西の湖は面積221ヘクタール。その周囲には琵琶湖全体の6割強にあたる100ヘクタールのヨシ原が広がる。」と書かれている。

 

歌にある「津乎(つお)の崎」は、所在未詳とされているが、歌の「葦辺」「港風」というキーワードからこの野田沼畔が想定されたのかもしれない。

 

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野田沼畔

 野田沼を一周すれば歌碑に巡り逢えると信じて、園地の説明案内板から時計回りに一周することにした。(結果的には逆回りが正解だったのであるが)

あちこちに野鳥を観察する方たちが、望遠カメラを据え付けて陣取っておられる。沼面にはいろいろな野鳥が群がっている。しかし、望遠カメラの先は沼面以外の方向を向いている。

これなら沼を一周しても邪魔にはならないと判断、ゆっくり探しながら歩く。なかなか見つからない。ほぼ一回り、駐車場の車が見えて来る。見落したのかと不安になる。葦が刈られたところがあり、よくみてみると歌碑が沼を向いて建てられていた。歌碑に近いところにトイレもあり、次に探すとしたら駐車場からは楽勝のところにあるのが分かった。

 

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野田沼畔水路

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「コトバンク 2008-04-27 朝日新聞 朝刊 大特集」

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社