万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その409,410)―滋賀県米原市世継 蛭子神社、同 磯南町 磯崎神社横湖畔―万葉集 巻二十 四四五八、同 巻三 二七三

―その409―

●歌は、「にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも」である。

 

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滋賀県米原市世継 蛭子神社万葉歌碑(馬史国人)

●歌碑は、滋賀県米原市世継 蛭子神社にある。

 

●この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その405)」に紹介している。歌、注、題詞等を再掲載する。

 

◆尓保杼里乃 於吉奈我河波半 多延奴等母 伎美尓可多良武 己等都奇米也母  古新未詳

               (馬史国人 巻二十 四四五八)

 

≪書き下し≫にほ鳥(どり)の息長川(おきながかは)は絶えぬとも君に語らむ言(こと)尽(つ)きめやも  古新は未だ詳(つばび)らかならず

 

(訳)にお鳥の息長(いきなが)、息長(おきなが)の川の流れは絶えてしまおうとも、私があなたに語りかけたいと思う、その言葉の尽きることなどあるものですか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)にほ【鳰】名詞:水鳥のかいつぶりの別名。湖沼にすみ、水中にもぐって魚を取る。「にほどり」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)にほどりの【鳰鳥の】分類枕詞:かいつぶりが、よく水にもぐることから「潜(かづ)く」および同音を含む地名「葛飾(かづしか)」に、長くもぐることから「息長(おきなが)」に、水に浮いていることから「なづさふ(=水に浮かび漂う)」に、また、繁殖期に雄雌が並んでいることから「二人並び居(ゐ)」にかかる。(学研)

(注)息長川:読み方 オキナガカワ 所在 滋賀県 水系 淀川水系天野川weblio辞書 河川・湖沼名辞典)

 

 左注は、「右一首主人散位寮散位馬史國人」<右の一首は主人(あろじ)散位寮(さんゐれう)の散位馬史國人(うまのふひとくにひと)>である。

(注)さんい 【散位】:律令制で、位階のみあって、それに相当する官職に就いていないもの。散官。 ⇔ 職事(しきじ) (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

四四五八歌を含む歌群の題詞は、「天平勝寶八歳丙申二月朔乙酉廿四日戊申 太上天皇太皇大后幸行於河内離宮 経信以壬子傳幸於難波宮也 三月七日於河内國伎人郷馬國人之家宴歌三首」<天平(てんびやう)勝宝(しようほう)八歳丙申(ひのえさる)の二月の朔(つきたち)乙酉(きのととり)の二十四日戊申(つちのえさる)に、太上天皇天皇、大后、河内(かふち)の離宮(とつみや)に幸行(いでま)し、経信壬子(ふたよあまりみづのえね)をもちて難波(なには)の宮(みや)に伝幸(いでま)す。三月の七日に、河内の国伎(くれ)人の郷(さと)の馬国人(うまのくにひと)の家にして宴(うたげ)する歌三首>である。

(注)天平勝宝八歳:756年

(注)太上天皇天皇、大后:聖武天皇孝謙天皇、光明皇大后

(注)河内(かふち)の離宮大阪府柏原市高井田あたりの宮

(注)経信壬子:二十四日戊申から二十八日壬子までの四泊五日。

(注)伎(くれ)人の郷(さと):喜連村(きれむら)は、大阪府東成郡にあった村。現在の大阪市平野区喜連各町にあたる。村名は「伎人」「久礼」「呉」(くれ)の転訛とされ、古代の伎人郷(くれのごう)に比定されている。※出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

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蛭子神社鳥居と参道(歌碑は参道右手にある)

 

―その410―

●歌は、「磯の崎漕ぎ廻み行けば近江の海八十の港に鶴さはに鳴く」である。

 

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磯崎神社横びわ湖畔万葉歌碑(高市連黒人)

●歌碑は、米原市磯南町 磯崎神社横湖畔にある。

磯崎神社の横を走る「さざなみ街道」脇びわ湖に面したところに建てられている。

 

●歌をみていこう。

この歌についても、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その250)」で「高市連黒人羇旅歌八首」の一首として紹介している。他の七首は、そちらを参考にしていただきたい。

 

◆礒前 榜手廻行者 近江海 八十之湊尓 鵠佐波二鳴 未詳

               (高市連黒人 巻三 二七三)

 

≪書き下し≫磯(いそ)の崎(さき)漕(こ)ぎ廻(た)み行けば近江(あふみ)海(うみ)八十(やそ)の港(みなと)に鶴(たづ)さはに鳴く 未詳

(注)未詳とあるが、二七四、二七五歌の近江の歌と同じ折か不明、の意らしい

 

(訳)磯の崎を漕ぎめぐって行くと、近江の海、この海にそそぐ川の河口ごとに、鶴がたくさんうち群れて鳴き騒いでいる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)磯(いそ)の崎(さき):岩石の多い岬。北陸に向かう途中の近江での歌。

(注)八十(やそ)の港(みなと):たくさんの河口。

 

題詞は、「高市連黒人羇旅歌八首」<高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が羇旅(きりょ)の歌八首>である。

 

磯崎神社については、「滋賀・びわ湖観光情報」(公益社団法人びわこビジターズビューロー)に次のように記されている。

「伊吹の荒ぶる神の毒気に当たった日本武尊が、醒井の居醒の清水で正気を取り戻し、都へ帰る途中に千々の松原にて崩御され、ここ磯山に葬られたと伝えられています。崩御された日本武尊は白鳥になって飛び立ったとも伝わっています。 日本武尊を厚く守護神として祭るため、この神社が建立されました。毎年5月3日の例祭では「磯武者行列」がおこなわれ、日本武尊にあやかって男児は武者姿、女児は稚児姿で巡行します。」

 

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磯崎神社鳥居と参道

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磯崎神社武者行列説明案内板


 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 河川・湖沼名辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

★「滋賀・びわ湖観光情報」(公益社団法人びわこビジターズビューローHP)