万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その411)―滋賀県彦根市 JR彦根駅東口―万葉集 巻四 四八七

●歌は、「近江道の鳥籠の山なる不知哉川日のころごろは恋ひつつもあらむ」である。

 

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滋賀県彦根市 JR彦根駅東口万葉歌碑(崗本天皇

●歌碑は、滋賀県彦根市 JR彦根駅東口にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆淡海路乃 鳥籠之山有 不知哉川 氣乃己呂其侶波 戀乍裳将有

               (崗本天皇 巻四 四八七)

 

≪書き下し≫近江道(あふみぢ)の鳥籠(とこ)の山なる不知哉川(いさやがは)日(け)のころごろは恋ひつつもあらむ

 

(訳)近江路(おうみじ)の鳥籠(とこ)の山裾を流れる不知哉川(いさやがわ)、その不知(いさ)というではないが、先のことはいざ知らず、ここしばらくのあいだは恋い慕いながら生きていよう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)とこのやま【鳥籠の山】:近江国の不知哉(いさや)川近辺にあった山。現在のどの山にあたるかは未詳。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)不知哉川:分類地名 歌枕(うたまくら)。今の滋賀県にある川。和歌で多く、「いさ」を導き出すための序詞(じよことば)に使われる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ころ【頃・比】名詞:①時分。ころ。おおよその時をいう語。②季節。時節。折。ころ。

 

JR彦根駅東口にあるこの歌碑の説明碑には、彦根を通る東山道の「鳥籠の駅」について触れられており、「鳥籠の駅」近くの山が「鳥籠の山」と呼ばれており、「正法寺山」や「大堀山」などが候補にされている等の記載がある。

 

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歌の解説案内板

 

四八五から四八七歌の歌群の題詞は、「崗本天皇御製一首并短歌」<岡本天皇(をかもとのすめらみこと)の御製一首并(あは)せて短歌>である。

 

他の二首もみてみよう。

 

◆神代従 生継来者 人多 國尓波満而 味村乃 去来者行跡 吾戀流 君尓之不有者 晝波 日乃久流留麻弖 夜者 夜之明流寸食 念乍 寐宿難尓登 阿可思通良久茂 長此夜乎

                (崗本天皇 巻四 四八五)

 

≪書き下し≫神代(かみよ)より 生(あ)れ継(つ)ぎ来れば 人さはに 国には満ちて あぢ群(むら)の 騒(さわ)きは行けど 我(あ)が恋ふる 君にしあらねば 昼は 日の暮るるまで 夜(よる)は 夜(よ)の明くる極(きは)み 思ひつつ 寐(い)も寝(ね)かてにと 明かしつらくも 長きこの夜を

 

(訳)神代の昔から次々とこの世に生まれ継いできたこととて、人がたくさんこの国中に満ち満ちて、まるであじ鴨の群れのように騒いで行き来しているけれど、どの人もお慕いする我が君ではないものだから、昼は昼とて日が暮れるまで、夜は夜とて夜が明け果てるまで、あなたを思いつづけて眠れないままに、とうとう一夜を明かしてしまった。長い長いこの夜なのに。(同上)

(注)さはに【多に】副詞:たくさん。 ※上代語(学研)

(注)あぢ【䳑】名詞:水鳥の名。秋に飛来し、春帰る小形の鴨(かも)。あじがも。ともえがも。

(注)あぢむらの:「通(かよ)ふ」、「騒(さわ)く」にかかる枕詞。(コトバンク Wiktionary UTC 版)

(注)君:ここでは「大君」に近い。

(注)いもねず【寝も寝ず】分類連語:眠りもしない。 ※なりたち名詞「い(寝)」+係助詞「も」+動詞「ぬ(寝)」の未然形+打消の助動詞「ず」(学研)

(注)かてに 分類連語:…できなくて。…しかねて。 ※なりたち可能等の意の補助動詞「かつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の上代の連用形(学研)

 

 

◆山羽尓 味村驂 去奈礼騰 吾者左夫思恵 君二四不存者

               (崗本天皇 巻四 四八六)

 

≪書き下し≫山の端(は)にあぢ群(むら)騒(さわ)き行くなれど我(あ)れはさぶしゑ君にしあらねば

 

(訳)山際をあじ鴨の群れが騒いで飛んで行くけれど、私はさびしくてならぬ。行き来する鳥は所詮(しょせん)我が君ではないから。(同上)

(注)ゑ 間投助詞:《接続》種々の語に付く。文の間にも終わりにも位置する。〔嘆息のまじった詠嘆〕…よ。…なあ。 ※終助詞とする説もある。多く「よしゑ」「よしゑやし」の形で用いられる。上代語。(学研)

 

左注は、「右今案 高市崗本宮後崗本宮二代二帝各有異焉 但偁崗本天皇未審其指」<右は、今案(かむが)ふるに、高市(たけち)の岡本(をかもと)の宮(みや)、後(のち)の岡本の宮の二代二帝おのおの異(こと)にあり。ただし岡本天皇といふは、いまだその指すところ審(つばび)らかにあらず。>である。

 

岡本宮(おかもとのみや)について、「日本大百科全書(ニッポニカ)」によると、「舒明(じょめい)・斉明(さいめい)両天皇の宮室。630年(舒明天皇2)舒明天皇は飛鳥(あすか)岡の傍らに岡本宮を営んだが、636年火災にあって田中宮に移った。斉明天皇は656年(斉明天皇2)岡本宮の故地に後(のちの)岡本宮を営んで川原宮より移ったが、同年火災にあっている。天武(てんむ)天皇は壬申(じんしん)の乱(672)の勝利後、岡本宮の南に飛鳥浄御原(きよみはら)宮を営んで即位した。なお岡本宮の位置については、浄御原宮の位置を、通説のように奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村飛鳥の飛鳥寺北西の飛鳥小学校周辺に考えると、岡本宮はその北方に位置することになる。しかし飛鳥寺南方の伝承板蓋(いたぶき)宮跡を浄御原宮にあてる説もあり、今後の考古学的調査が課題となっている。」と書かれている。

 

 伊藤 博氏は、その著「万葉集 一(角川ソフィア文庫)の四八七歌の脚注の中で、「四八五、四八六歌は舒明天皇が、父もしくは推古天皇を偲ぶ歌であったが、のちに斉明天皇が四八七歌を加えて夫舒明天皇を偲ぶ歌としたか。」と書いておられる。

 

 

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JR彦根駅東口

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク Wiktionary UTC 版」

★「コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)」