万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その412)―彦根市正法寺町 大堀山登口―万葉集 巻四 四八七、巻十一 二七一〇

●歌は、「近江道の鳥籠の山なる不知哉川日のころごろは恋ひつつもあらむ」と「犬上の鳥籠の山にある不知哉川いさとこ聞こせ我が名告らすな」の二首である。

  

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彦根市正法寺町 大堀山登口万葉歌碑

●歌碑は、彦根市正法寺町 大堀山登口にある。

 

●歌をみていこう。

「近江道の鳥籠の山なる不知哉川日のころごろは恋ひつつもあらむ」については、前項ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その411)で紹介したのでそちらも参考にしていただきたい。

 

◆淡海路乃 鳥籠之山有 不知哉川 氣乃己呂其侶波 戀乍裳将有

               (崗本天皇 巻四 四八七)

 

≪書き下し≫近江道(あふみぢ)の鳥籠(とこ)の山なる不知哉川(いさやがは)日(け)のころごろは恋ひつつもあらむ

 

(訳)近江路(おうみじ)の鳥籠(とこ)の山裾を流れる不知哉川(いさやがわ)、その不知(いさ)というではないが、先のことはいざ知らず、ここしばらくのあいだは恋い慕いながら生きていよう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)とこのやま【鳥籠の山】:近江国の不知哉(いさや)川近辺にあった山。現在のどの山にあたるかは未詳。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)不知哉川:分類地名 歌枕(うたまくら)。今の滋賀県にある川。和歌で多く、「いさ」を導き出すための序詞(じよことば)に使われる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ころ【頃・比】名詞:①時分。ころ。おおよその時をいう語。②季節。時節。折。ころ。

 

 

◆狗上之 鳥籠山尓有 不知哉河 不知二五寸許瀬 余名告奈

                (作者未詳 巻十一 二七一〇)

 

≪書き下し≫犬上(いぬかみ)の鳥籠(とこ)の山にある不知哉川(いさやがは)いさとこ聞こせ我(わ)が名告(の)らすな

 

(訳)犬上の鳥籠の山辺不知哉川、その名の“いさ―――さあね”とぐらいにおっしゃって下さい。私の名前だけは人におっしゃらないでね。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)いさ 感動詞:さあねえ。ええと。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

県道428号線(旧中山道)大堀橋で芹川を渡るとすぐに、交差点「大堀」である。この橋の東側と西側にこんもりした山がある。歌にある「鳥籠(とこ)の山」は今の大堀山ではないかと言われている。地図では交差点の西側の位置を示している。裾野には石清水神社がある。ここを重点的にストリートビューをかけてみたが見つからない。

 東側にもこんもりした山があるので、そちらをみてみるが、ヒットしない。芹川を渡ったところからでは路らしいところがないので、大堀橋の手前に鍵がありそうである。これ以上は、現地に行ってみないとわからない。

 当日、大堀橋の手前から注意深く見ていたが、わからす。橋を渡り、念のためと西側の大堀山の裾野を走ってみる。空振りである。芹川沿いも走ったがわからず。もう一度橋を渡りUターンしてくる。信号待ちで車がつながり、橋の手前で、超徐行に、すると、橋手前から左に緩やかに下る坂道が見えた。そちらに車を寄せ停車。急いで車を降りて、坂道を下る。ちょうど下ったところの左手に歌碑があったのである。

 

 歌碑の横に立つ説明碑には、「鳥籠山(大堀山)不知哉川(芹川)」と記されている。

 

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鳥籠山と不知哉川説明碑

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」