万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その416)―東近江市下麻生 山部神社―万葉集巻三 三一八

●歌は、「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」である。

 

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山部神社万葉歌碑(山部赤人 巻3-318)

●歌碑は、東近江市下麻生 山部神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留

                                   (山辺赤人 巻三 三一八)

 

≪書き下し≫田子(たご)の浦ゆうち出(い)でて見れば真白(ましろ)にぞ富士の高嶺に雪は降りける

 

(訳)田子の浦をうち出て見ると、おお、なんと、真っ白に富士の高嶺に雪が降り積もっている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)うちいづ 【打ち出づ】自動詞:①出る。現れる。②出陣する。出発する。③でしゃばる。 ※「うち」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 三一七および三一八歌の題詞は、「山部宿祢赤人望不盡山歌一首并短歌」<山部宿禰赤人、富士(ふじ)の山を望(み)る歌一首并(あは)せて短歌>である。

              

長歌をみてみよう。

 

◆天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不盡能高嶺者

               (山部赤人 巻三 三一七)

 

≪書き下し≫天地(あめつち)の 分(わか)れし時ゆ 神(かむ)さびて 高く貴(た
ふと)き 駿河(するが)なる 富士(ふじ)の高嶺(たかね)を 天(あま)の原(はら) 振り放(さ)け見れば 渡る日の 影(かげ)も隠(かく)らひ 照る月の 光も見えず 白雲(しらくも)も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り告(つ)げ 言ひ継ぎ行かむ 富士(ふじ)の高嶺は

 

(訳)天と地の相分かれた神代の時から、神々しく高く貴い駿河の富士の高嶺を、大空はるかに振り仰いで見ると、空を渡る日も隠れ、照る月の光も見えず、白雲も行き滞り、時となくいつも雪は降り積もっている。ああ、まだ見たことのない人に語り聞かせ、のちのちまでも言い継いでゆこう。この神々しい富士の高嶺は。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ときじ【時じ】形容詞:①時節外れだ。その時ではない。②時節にかかわりない。常にある。絶え間ない。 ※参考上代語。「じ」は形容詞を作る接尾語で、打消の意味を持つ。(学研)

 

 赤人は、都人であり、宮廷人であり、旅人として富士山を讃美しているのである。

一方、東国人にとって富士山とはどのような山であったかは、次の二首をみてみるとその対比がおもしろい。

 

◆安麻乃波良 不自能之婆夜麻 己能久礼能 等伎由都利奈波 阿波受可母安良牟

              (作者未詳 巻十四 三三五五)

 

≪書き下し≫天の原(あまのはら)富士(ふじ)の柴山(しばやま)木(こ)の暗(くれ)の時ゆつりなば逢(あ)はずかもあらむ

 

(訳)天の原に聳(そび)え立つ富士の柴山の、木下闇(このしたやみ)の季節、この約束の時が過ぎてしまったら二度と逢えないのではなかろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)このしたやみ【木の下闇】名詞:(木の下の)生い茂った葉による暗がり。また、その場所。「木下(こした)闇」とも。[季語] 夏。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

◆不盡能祢乃 伊夜等保奈我伎 夜麻治乎毛 伊母我理登倍婆 氣尓餘婆受吉奴

              (作者未詳 巻十四 三三五六)

 

≪書き下し≫富士の嶺(ね)のいや遠長(とほなが)き山路(やまぢ)をも妹がりとへばけによはず来ぬ

 

(訳)富士の嶺の麓(ふもと)の、やたらに遠く長い山道、そんな道をも、いとしいそなたの許へと思うば、心軽々、すいすいとやって来た。(同上)

(注)いもがり【妹許】名詞:愛する妻や女性のいる所。 ※「がり」は居所および居る方向を表す接尾語。(学研)

(注)によふ【呻吟ふ】自動詞:うめく。うなる。「によぶ」とも。

 

 東国人にとって富士山は「高貴寸(高く貴き)」ものでも、「語告 言継将徃(語り告げ 言ひ継ぎ行かむ)」ものではないのである。生活の場であり、愛しい人の所に行くにも「伊夜等保奈我伎 夜麻治(いや遠長き山路)」であったのである。

 

「滋賀・びわ湖観光情報」(公益社団法人びわこビジターズビューロー)によると、「山部神社・赤人寺(やまべじんじゃ・しゃくにんんじ)」について、「万葉歌人山部赤人が生涯を閉じた地と言われ、山部神社と赤人寺が隣接して建っています。山部神社には、赤人の歌を刻んだ石碑があり、赤人寺には、国指定重要文化財鎌倉時代に建てられた七重石塔が残されています。」とある。

 

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山部赤人廟碑

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「山部神社略縁起・山部赤人伝説」説明案内板

一方、奈良県宇陀市に、山部赤人墓と伝えられている、東海自然歩道沿いの山中にひっそりと建つ五輪塔がある。榛原駅の北東、国道165号から1kmほど北西に入った額井岳の東のふもと、雑木林の中にある。

 

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奈良県宇陀市山部赤人の墓

これもまた、万葉歴史ロマンである。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集東歌論」 加藤静雄 著 (桜楓社)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「滋賀・びわ湖観光情報」(公益社団法人びわこビジターズビューロー)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」