万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その425)―三重県四日市市大宮町 志氐神社―万葉集巻六 一〇三一 

●歌は、「後れにし人を思はく思泥の崎木綿取り垂でて幸くとぞ思ふ」である。

 

●歌碑は、三重県四日市市大宮町 志氐神社にある。

f:id:tom101010:20200214110025j:plain

四日市市大宮町 志氐神社万葉歌碑(丹比屋主真人)


 

●歌をみていこう。

 

◆後尓之 人乎思久 四泥能埼 木綿取之泥而 好往跡其念

               (丹比屋主真人 巻六 一〇三一)

 

≪書き下し≫後(おく)れにし人を思はく四泥(しで)の崎(さき)木綿(ゆふ)取り垂(し)でて、幸(さき)くとぞ思ふ

 

(訳)あとに残っている人を思っては、思泥の崎の名のように、木綿(ゆふ)を取り垂(し)でて、無事を神に祈っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しづ 【垂づ】他動詞:垂らす。垂れ下げる。(学研)

 

題詞は、「丹比屋主真人歌一首」<丹比屋主真人(たぢひのやぬしのまひと)が歌一首>である。

 

左注は、「右案此歌者不有此行之作乎 所以然言 勅大夫従河口行宮還京勿令従駕焉 何有詠思泥埼作歌哉」<右は、案(かむが)ふるに、この歌はこの行(たび)の作にあらじか。 しか言ふ故(ゆゑ)は、大夫(まへつきみ)に勅(みことのり)して河口(かはぐち)行宮(かりみや)より京に還(かへ)し、従駕(おほみとも)せしむることなし。いかにしてか思泥(しで)の埼にして作る歌を詠(よ)むことあらむ。

 

丹比屋主真人の歌は、万葉集にはもう一首収録されている。こちらもみてみよう。

 

◆難波邊尓 人之行礼波 送居而 春菜摘兒乎 見之悲也

               (丹比屋主真人 巻八 一四四二)

 

≪書き下し≫難波辺(なにはへ)に人の行ければ後(おく)れ居(ゐ)て春菜(はるな)摘(つ)む子を見るが悲しさ

 

(訳)難波の方へ夫が出かけているので、ひとりあとに残って春菜を摘んでいるあの子、その子を見ると、いとおしくてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「大蔵少輔丹比屋主真人歌一首」<大蔵少輔(おほくらのせうふ)丹比屋主真人(たぢひのやぬしのまひと)が歌一首>である。

 

 一〇三一歌の「後尓之」、一四四二歌の「送居而」と、何らかの形で後に残っている人を思いやっての歌に、なにかしら丹比屋主真人の人柄がにじみ出ている。

 

 三重県四日市市ならびに松阪市近隣の万葉歌碑めぐりは、①山辺御井聖武天皇社③志氐神社④阿弥陀寺⑤斎王の森である。

 鈴鹿市山辺御井から四日市市聖武天皇社まで約30分のドライブ、聖武天皇社から志氐(しで)神社までは約15分である。

 同神社のあとは、松阪市阿弥陀寺である。伊勢自動車道を通って1時間強、さらに明和町の斎王の森までは約15分である。

 

f:id:tom101010:20200214105629j:plain

志氐神社鳥居

 志氐神社の駐車場に車を止め、参道を歩くと、小高い築山があり、その頂に歌碑が建てられていた。何かの影響で歌碑が倒れたのか、上部に破損傷が残されている。

 

f:id:tom101010:20200214101837j:plain

志氐神社万葉歌碑

f:id:tom101010:20200214110255j:plain

志氐神社境内古墳碑と古墳由来説明案内板


 左手に社務所があり、拝殿横に「志氐神社古墳」がある。

四日市市HP「志氐神社古墳」によると、「市内に残る唯一の前方後円墳で、4世紀に築造されました。『伊勢名勝志』によると額田連(ぬかたのむらじ)の祖、意富伊我都命(おういがつのみこと)の陵墓と記されています。古墳は、海蔵川と米洗川に挟まれ、西から東に曲折しながら延びる低い丘陵部に位置します。墳丘は、丘陵の東側で南北に低く延びる標高10mほどの台地の東端に、主軸を南北方向にとって築造されています。明治時代に、神社の境内拡張と社務所造営によって前方部が削られ、現在では後円部と北、西側の周濠の一部が残っています。後円部は、東側と南側が道路や建物などによって削り取られていますが、規模は直径30m、高さは5.3mあります。墳丘には葺石があったようです。周濠は、幅4.5m、深さ約2.0mほどあります。後円部の墳頂は、嘉永五年(1852)に発掘され、内行花文鏡(ないこうかもんきょう)、車輪石、勾玉、管玉、小玉が出土しました。」とある。

f:id:tom101010:20200214110822j:plain

志氐神社由緒説明案内板

f:id:tom101010:20200214110059j:plain

志氐神社拝殿



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「志氐神社古墳」(四日市市HP)