●歌は、「斑鳩の因可の池のよろしくも君を言はねば思ひぞ我がする」である。
●歌をみていこう。
◆斑鳩之 因可乃池之 宜毛 君乎不言者 念衣吾為流
(作者未詳 巻十二 三〇二〇)
≪書き下し≫斑鳩(いかるが)の因可(よるか)の池のよろしくも君を言はねば思ひぞ我(あ)がする
(訳)斑鳩(いかるが)の因可(よるか)の池の名のように、よろしい人―好ましい方と、あなたのことを誰も言ってくれないので、それが私の物思いの種になっています。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。類音で「よろしく」を起こす。
(注)因可(よるか)の池:斑鳩の地にあったようであるが、未詳。(奈良県HP)
上二句で「斑鳩の因可(よるか)の池の)の池の」と、「の、の、の」でリズミカルに詠い出し、「よろしくも」で一転、恋の悩みにひきこまれてしまう。斑鳩の「い」、因可(よるか)の「因(いん)」、池の「い」もリズムを醸し出しているように思える。
上野遺跡(かみやいせき)公園は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺の富雄川沿いにある、奈良時代の建物群跡が発見された遺跡公園である。この遺跡は、1991年(平成3年)のふるさと創世事業の一環として公園を建設された際に、偶然発見されたものだという。奈良時代の称徳天皇ゆかりの飽波(あくなみ)宮跡と考えられている。聖徳太子が晩年過ごした葦垣(あしがき)宮が近くにあったともいわれ歴史ロマン香る地である。遺跡公園から北西方向約1kmの所に法隆寺がある。
遺跡公園には、万葉歌碑の他に、在原業平(古今集)の「千早(ちはや)ぶる神代(かみよ)もきかず龍田川(たつたがは) からくれなゐに水くくるとは」の歌碑と、拾遺和歌集の「いかるがや 富の緒川のたえばこそ わがおほきみの み名をわすれめ」の歌碑がある。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「はじめての万葉集 Vol.23 因可の池の物思い」(奈良県HP)
★「奈良県歴史文化資源データベース」