万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その432)―葛城郡三宅町伴堂太子道沿い―万葉集 巻十三 三二九五、三二九六

●歌は、「うちひさつ三宅の原ゆ直土に足踏み貫き夏草を腰になづみいかなるや人の子ゆゑぞ通はすも我子うべなうべな母は知らじうべなうべな父は知らじ蜷の腸か黒き髪に真木綿もちあざさ結ひ垂れ大和の黄楊の小櫛を押へ刺すうらぐわし子それぞわが妻」(13-3295)ならびに「父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道の夏野の草をなづみ来るかも」(13-3296)である。

 

●歌碑は、葛城郡三宅町伴堂太子道沿いにある。

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三宅町伴堂太子道沿い万葉歌碑(作者未詳)


 

●歌をみていこう。

 

◆打久津 三宅乃原従 常土 足迹貫 夏草乎 腰尓魚積 如何有哉 人子故曽 通簀文吾子 諾ゝ名 母者不知 諾ゝ名 父者不知 蜷腸 香黒髪丹 真木綿持 阿邪左結垂 日本之 黄楊乃小櫛乎 抑刺 卜細子 彼曽吾孋

               (作者未詳 巻十三 三二九五)

 

≪書き下し≫うちひさつ 三宅(みやけ)の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏(ふ)み貫(ぬ)き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通(かよ)はすも我子(あご) うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結(ゆ)ひ垂(た)れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を 押(おさ)へ刺(さ)す うらぐはし子 それぞ我(わ)が妻

 

(訳)うちひさつ三宅の原を、地べたに裸足なんかを踏みこんで、夏草に腰をからませて、まあ、いったいどこのどんな娘御(むすめご)ゆえに通っておいでなのだね、お前。ごもっともごもっとも、母さんはご存じありますまい。ごもっともごもっとも、父さんはご存じありますまい。蜷の腸そっくりの黒々とした髪に、木綿(ゆう)の緒(お)であざさを結わえて垂らし、大和の黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)を押えにさしている妙とも妙ともいうべき子、それが私の相手なのです。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)うちひさす【打ち日さす】分類枕詞:日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは「三宅」にかかっている。

(注)三宅の原:奈良県磯城郡三宅町付近。

(注)ひたつち【直土】名詞:地面に直接接していること。 ※「ひた」は接頭語。(学研)

(注)こしなづむ【腰泥む】分類連語:腰にまつわりついて、行き悩む。難渋する。(学研)

(注)うべなうべな【宜な宜な・諾な諾な】副詞:なるほどなるほど。いかにももっともなことに。(学研)

(注)みなのわた【蜷の腸】分類枕詞:蜷(=かわにな)の肉を焼いたものが黒いことから「か黒し」にかかる。(学研)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)あざさ:ミツガシワ科アサザ属の多年生水草ユーラシア大陸の温帯地域に生息し、日本では本州や九州に生息。5月から10月頃にかけて黄色の花を咲かせる水草。(三宅町HP) ※あざさは三宅町の町花である。現在の植物名は「アサザ」である。

(注)うらぐはし【うら細し・うら麗し】形容詞:心にしみて美しい。見ていて気持ちがよい。すばらしく美しい。

 

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太子道」案内板


 太子道については、奈良県観光局HP「歩く・なら」の「斑鳩から飛鳥へ 聖徳太子の往来道・太子道(筋違道)」に次のように書かれている。

「万葉の時代に、聖徳太子が『斑鳩の里』から『三宅の原』を経て、『飛鳥の宮』とを往来された道が『太子道』です。この道路は、条里制の南北方向の地割りに斜交(北方向約20度西、南方向約20度東)している道で、別名『筋違道』とも呼ばれています。中世以降は、『法隆寺』街道とも呼ばれ、生活道路として盛んに利用され、現在も町道三宅70号線として活用されています。」

 

 

反歌もみておこう。

◆父母尓 不令知子故 三宅道乃 夏野草乎 菜積来鴨

               (作者未詳 巻十三 三二九六)

 

≪書き下し≫父母(ちちはは)に知らせぬ子ゆゑ三宅道(みやけぢ)の夏野(なつの)の草をなづみ来(く)るかも

 

(訳)父や母にもうち明けていない子ゆえ、草深い三宅道の夏野、その野の草に足を取られながら私は辿(たど)って行く。そういうことだったのです。(同上)

 

親の問いかけに息子が相手の女の魅力を打ち明けるリズミカルな歌である。家族愛、恋人愛溢れる歌である。

 

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歌碑とその前の「あざさ」の栽培

万葉集の中で、あざさ(アサザ)を歌ったのはこの一首のみである。葉の形がジュンサイに似ているが、食用とならないことから花ジュンサイとも呼ばれている。

 

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「歴史と愛の町屯倉」コーナー


 

「歴史と愛の町屯倉」といった憩いのスペースが太子道沿いにあり、万葉歌碑、あざさの栽培、恋人の聖地に関するモニュメントなどが設置されている。融観寺の北側である。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「三宅町HP」

★「「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「歩く・なら」 (奈良県観光局HP)