万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その448)―生駒市小瀬町 大瀬中学校正門近く―万葉集 巻十五 三五八九

●歌は、「夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り」である。

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生駒市小瀬町 大瀬中学校正門近くの万葉歌碑(秦間満)

●歌碑は、生駒市小瀬町 大瀬中学校正門近くにある。

 

●歌をみていこう。この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その88)」で紹介している。その88の歌碑は、生駒市俵口町生駒山麓公園の「万葉のみち」にある。生駒山を詠んだ歌で生駒市内にある歌碑を一堂に紹介する形で作られたものである。いつかはオリジナルな歌碑を訪れたいと思っていたのである。

 

由布佐礼婆 比具良之伎奈久 伊故麻山 古延弖曽安我久流 伊毛我目乎保里

             (秦間満 巻十五 三五八九)

 

≪書き下し≫夕(ゆふ)さればひぐらし来(き)鳴(な)く生駒山(いこまやま)越えてぞ我(あ)が来る妹(いも)が目を欲(ほ)り

 

(訳)夕方になると、ひぐらしが来て鳴くものさびしい生駒山、生駒の山を越えて私は大和へと急いでいる。もう一目あの子に逢いたくて。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)めをほる【目を欲る】:連語 見たい、会いたい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

  堀内民一氏は「大和万葉―その歌の風土」のなかで、「いとしい妻の顔が見たさに、難波(なにわ)の浜で出船を待っている間に、家へ帰った時のものであろう。わずかのあいまに奈良の家に帰っていく。生駒山の森林を鳴き移るひぐらしの声は、心にしみたにちがいない。」と書いておられる。

 

 左注は、「右一首秦間満」<右の一首は秦間満(はだのはしまろ)>である。

 

 題詞は、「遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思并當所誦之古歌」<遣新羅使人等(けんしらきしじんら)、別れを悲しびて贈答(ぞうたふ)し、また海路(かいろ)にして情(こころ)を慟(いた)みして思ひを陳(の)べ、并(あは)せて所に当りて誦(うた)ふ古歌>である。

 

万葉集目録には、「天平八年丙子夏六月、使を新羅国に遣はす時に、使人等、各別れを悲しびて贈答し、また海路の上にして旅を慟みして思ひを陳べて作る歌、并せて所に当りて誦詠する古歌一百四十五首」とある。聖武天皇天平八年(七三六年)六月に出発したと思われるが、「続日本紀」には記載がない。

 

秦間満についは、「はだのままろ」とも読めることから、秦田麻呂(はだのたまろ)と同一人物ではないかという説もある。秦田麻呂が詠んだ歌が巻十五にある。次の歌である。

 

◆可敝里伎弖 見牟等毛比之 和我夜度能 安伎波疑須ゝ伎 知里尓家武可聞

               (秦田麻呂 巻十五 三六八一)

 

≪書き下し≫帰り来て見むと思ひし我がやどの秋萩(あきはぎ)すすき散りにけむかも

 

(訳)無事に帰って来て見ようと思った、我が家の秋萩やすすき、あの花々はもう散ってしまったのかなあ。(同上)

 

 この歌は三六八一から三六八七歌までの歌群のひとつである。題詞は「肥前(ひのみちのくち)の国の松浦(まつら)の郡(こほり)の柏島(かしはじま)の亭(とまり)に船泊(ふなどま)りする夜に、遥かに海浪(かいろう)を望み、おのもおのも旅心を慟(いた)みして作る歌七首」である。六月の出発して、秋に帰る予定が、まだ、秋には壱岐対馬あたりで難航していたのである。天平九年一月漸く都へ帰って来たのであるが、帰路対馬で大使阿倍継麻呂(あべのつぎまろ)が亡くなるという不幸に見舞われたのである。

 新羅は日本を相手にしなかったこともあり、遣新羅使は何の役目を果たせず無念の帰国となったのである。

 

 堀内民一氏は三六八一歌について、「大和万葉―その歌の風土」のなかで、「間満の生駒山の歌とどこか同じ旅心のやるせなさや、かなしみがうたわれている。留守居の妻の俤(おもかげ)が田麻呂の歌にも、それとなく浮かんでくる。」と述べておられる。

 

 暗峠の万葉歌碑を見てから、大瀬中学校に向かう。下り坂である。さすが酷道308号線である。視界から坂道が消えることがしばしば。対向車が来ないことを祈りながらなんとか中学校にたどり着く。コロナ騒動で、学校は休みである。車を止め正門方向に歩いて戻る。

「この上すぐ 万葉歌碑 暗越奈良街道」の碑が建てられている。

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万葉歌碑への案内碑

坂道を登ると歌碑があった。生駒山を背景に歌碑を映す。なかなかのロケーションである。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」