新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が発出された。万葉歌碑を訪ねて遠出するのも憚れるので、近くの奈良市神功4丁目の「万葉の小径」の歌碑を改めて紹介していく。
「ええ古都なら 見どころ情報」(南都銀行HP)に、「万葉の小径 万葉の草花を楽しむ散策路」として紹介されている。「計36種類の万葉植物が植えられ、万葉の人々と植物とのかかわりや歴史をわかりやすく学べる小道。石のカラト古墳から南の遊歩道に建つ道しるべから、押熊瓦窯跡の近くまであり、全長は約300mほど。『万葉人の時代』『万葉人と植物との関わり』『万葉人の衣・食・住』『個々の植物と万葉人の思想や生活との関わり』の大きく4つのテーマに分けて陶板に解説があり、散策しながら自然に万葉植物について知識を深めることができる。」
ただ、心無い者のいたずらから、1基の陶板の歌碑は完全に破壊され、何基かは、ひびが入っている。テーマの陶板解説もかなりダメージを受けているものもある。早急な修理が望まれるところである。
●歌は、「向つ峰の若桂の木下枝取り花待つい間に嘆きつるかも」である。
●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(1)にある。
●歌をみていこう。
◆向岳之 若楓木 下枝取 花待伊間尓 嘆鶴鴨
(作者未詳 巻七 一三五九)
≪書き下し≫向つ峰(むかつみね)の若楓(わかかつら)の木下枝(しづえ)とり花待つい間に嘆きつるかも
(訳)向かいの高みの若桂の木、その下枝を払って花の咲くのを待っている間にも、待ち遠しさに思わず溜息がでてしまう。((伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)むかつを【向かつ峰・向かつ丘】名詞:向かいの丘・山。◆「つ」は「の」の意の上代の格助詞。上代語。
(注)上二句(向岳之 若楓木)は、少女の譬え
(注)下枝(しづえ)とり:下枝を払う。何かと世話をする意。
(注)花待つい間:成長するのを待っている間
「楓はこんにちの楓(かえで)を指すものではない。楓(かえで)はヲカツラといい、桂はメカツラといって対になっている。いずれも良い香りがするカツラの木のことである。
カツラは、落葉大高木で初夏に葉よりも早く紅色の花を咲かせるので、カツラの下枝を手に取って、早く花が咲かないかと待ち望んだ歌である。ただ、「下枝とり」は、手に取るのでなく、下枝を刈り払ってと解釈する説もあり、それならば、準備万端をととのえて花の咲くのを待つ歌となる。(中略)
実際には、この歌はカツラの木の美しさを歌ったものではなく、カツラの木によせて恋心を述べた比喩の歌である。
若い楓の木は、ある男が恋する少女のことを譬えており、花が咲くというのは、その少女が成人した女性になることをいう。だから、男の溜め息は、少女が成人するまでのあいだの間に、ほかの男のいろいろな妨害が入ることを恐れてのものといえよう。」(万葉の小径 かつらの歌碑)
万葉集には、「かつら」を詠った歌は3首収録されている。実際の「かつら」を歌ったのはこの歌だけで、他の2首は月にある想像上の「かつら」である。
他の2首もみてみよう。
◆目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責
(湯原王 巻四 六三二)
≪書き下し≫目には見て手には取らえぬ月の内の桂(かつら)のごとき妹(いも)をいかにせむ
(訳)目には見えても手には取らえられない月の内の桂の木のように、手を取って引き寄せることのできないあなた、ああどうしたらよかろう。((伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)月の内の桂(かつら):月に桂の巨木があるという中国の俗信
◆黄葉為 時尓成 月人 楓枝乃 色付見者
(作者未詳 巻十 二二〇二)
≪書き下し≫黄葉(もみち)する時になるらし月人(つきひと)の桂(かつら)の枝(えだ)の色づく見れば
(訳)木の葉の色づく時節になったらしい。お月さまの中の桂の枝が色付いてきたところを見ると。((伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
この歌碑は、カラト古墳側の入り口にある。前述の36基の歌碑の地図は次の通りである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の恋歌」 堀内民一 著 (創元社)
★「万葉の小径 かつらの歌碑」
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「ええ古都なら 見どころ情報」(南都銀行HP)