万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その468)―奈良市神功4丁目 万葉の小径(4)―万葉集  巻十四 三四九四 

●歌は、「児毛知山若かへるでのもみつまで寝もと我は思ふ汝はあどか思ふ」である。

 

f:id:tom101010:20200423150209j:plain

奈良市神功4丁目 万葉の小径(4)万葉歌碑(作者未詳 かへるで)

●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(4)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆兒毛知夜麻 和可加敝流弖能 毛美都麻弖 宿毛等和波毛布 汝波安杼可毛布

              (作者未詳    巻十四 三四九四)

 

≪書き下し≫児毛知山(こもちやま)若(わか)かへるでのもみつまで寝(ね)もと我(わ)は思(も)ふ汝(な)はあどか思(も)ふ

 

(訳)児毛知山、この山の楓(かえで)の若葉がもみじするまで、ずっと寝たいと俺は思う。お前さんはどう思うかね。((伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)児毛知山:一般に、奈良時代の『万葉集』に掲載されたこの東歌(巻14、3494)は、上野国群馬県)の子持山のことを詠んだものとされてきた。ただし、平安時代末期の『五代集歌枕』や『和歌色葉』(1198年頃)といった歌学書では、この和歌の主題がどこの土地のものであるかは言及していない。また、同時期の藤原清輔による『奥義抄』ではこの歌を陸奥国で詠まれたものとして解説している。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

(注)寝も:「寝む」の東国形

(注)あど 副詞:どのように。どうして。 ※「など」の上代の東国方言か。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)もふ【思ふ】他動詞:思う。 ※「おもふ」の変化した語。(学研)

 

「鶏冠木(かへるて)は、その葉がまるで掌の指のように五~八の切れ込みによって分かれている。古く蛙の手のようだというので文字で示すと蝦手とか加敝流弖とか書かれ、かえるてと呼ばれていた。今日では、それはヤマモミジであるとか、タカオモミジ、オオモミジなどとの説があるが、もっと広く解釈してかえでの総称であるととるのが良い。その木の美しさは、春の浅緑と秋の紅葉に極まっている。

巻十四はすべて東歌(あずまうた)であって、異論はあるものの多くの民謡を含んでいる。東国の土と結びついた歌に於いては、見るもの聞くものにつけて愛や恋の率直な表現を生み、菅の根を見ては「寝(ね)」を思い、高山を見ては高嶺から「寝(ね)」を思うというように、何はさておいても「寝(ね)」を連想して共寝への憧れが歌われている。都の貴族ではとても表現できないことを、いとも簡単に言ってのける。

 緑の葉が赤や黄に変わるまで共寝をしようなどとは、大げさな、ありえない表現であって、軽い笑いをさえ誘う表現である。それが、内容は直接的ではあるが、健康的な響きを宿しているのである。」(万葉の小径 「かへるで」の歌碑)

 

「共寝」の「床」に関する歌をみてみよう。

 

◆美奈刀能 安之我奈可那流 多麻古須氣 可利己和我西古 等許乃弊太思尓

               (作者未詳 巻十四 三四四五)

 

≪書き下し≫港(みなと)の葦(あし)が中なる玉小菅(たまこすげ)刈(か)り来(こ)我(わ)が背子(せこ)床(とこ)の隔(へだ)しに

 

(訳)川口の葦たちに交じって生い茂る小菅、あのきれいな菅を刈って来てよ、あんた。寝床の目隠しのためにさ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

この歌も健康的な響きをもっている。

 

 現在では、格好つける東京人、本音でせまる大阪人であるが、万葉の時代は地域的に見れば逆で、都人と言う点では同じと言えるが、富士山を例にとって、 東国人と都人の富士山に対する見方の違いをみてみよう。

 

田子の浦ゆうち出て見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」

                   (山辺赤人 巻三 三一八)    

 

 このように都人である赤人の富士山に対する感動、感嘆を見る。小生も、新幹線で出張するときも指定席は、富士山を見るがために「E」席をねらう。新幹線でもいい加減疲れが出るころである。まして万葉の時代の都人の移動はいかばかりなものか。

 一方、東国人にとって富士山はどのようなものであったか。

「天の原富士の柴山木の暗(このくれ)の時移りなば逢はずかもあらむ(巻十四-三三五五)

「富士の嶺のいや遠長き山路をも妹がりとへばけによばず来ぬ(巻十四-三三五六)

東国人にとって富士山は、生活圏にあり、生活のために柴を集める場であり、恋人のところへ逢うためにも「いや遠長き山路」でしかなかったのである。

 

 およそ都人とかけ離れた東国の素朴な直接的な歌が、巻十四に東歌として万葉集は成り立っている。文化的ギャップを超越した万葉集のすごさが伝わってくる。 

 

カエデを一般にモミジというが 、これは、草木が黄色や赤色に変わることを意味する上代の動詞「もみつ」の名詞形「もみち」からで、紅葉の特に美しいカエデの仲間をモミジというようになったものである。

 万葉集では、「黄葉(もみぢ)」を詠んだ歌は多いが、「かへるで」を詠んだ歌は、上記の三四九四歌の他は、坂上大嬢の歌があるだけである。

 

こちらもみてみよう。

◆吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無

               (坂上大嬢 巻八 一六二三)

 

≪書き下し≫我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひね日はなし

 

(訳)私の家の庭で色づいているかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はありません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集東歌論」 加藤静雄 著 (桜楓社)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉の小径 かへるでの歌碑」