●歌は、「道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は」である。
●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(5)である。
●歌をみていこう。
◆路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀嬬
或本歌曰 灼然 人知尓家里 継而之念者
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八〇)
≪書き下し≫道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(わ)が恋妻(こひづま)は 或本の歌には「いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば」といふ
(訳)道端のいちしの花ではないが、いちじるしく・・・はっきりと、世間の人がみんな知ってしまった。私の恋妻のことは。<いちじるしく世間の人が知ってしまったよ、絶えずあの子のことを思っているので。>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序、同音で「いちしろく」を起こす。
(注)いちしろし【著し】「いちしるし」に同じ。 ※上代語。
>いちしるし【著し】:明白だ。はっきりしている。
- 参考古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
「いちしの花は、一説ではヒガンバナ(マンジュシャゲ)かと見られ、秋分の日の頃、他のあぜなどに密生して真っ赤な花を咲かせる多年生草木である。奈良時代の歌学書に「いちしの花の白妙の」という表現が見られるので、これによると、いちしの花は白ということになる。ヒガンバナの赤とは正反対である。
そこで、この弱点を補って、白い花の咲くタデ科のギシギシやイタドリなどもいちしかと推測されるが、目立つという点ではヒガンバナに遠く及ばない。
当時の恋人たちは、二人の関係が世間に知られることを非常に恐れていた。一旦、知られてしまうと、言葉が霊力を持って、次から次へ伝わって、結局、二人の間が断ち切られると思っていた。この歌は、まるでいちしの花のように鮮やかに、二人の恋が世間に知れ渡ってしまったことを嘆く恋歌である。」(万葉の小径 いちしの歌碑)
(注)歌碑の説明文にある歌学書とは、奈良時代末期の藤原浜成によって書かれた「歌経標式(かきょうひょうしき)」である。
路の辺の伊知旨(いちし)の花のしろたへのいちしろくしも我(あ)れ恋ひめやも (歌経標式)
「いちし」のイチは、「イツ紫、イツ藻などに通じる接頭語」とする説もある。折口博士の「口訳万葉集」には、「道の辺の櫧(しい)の花」という訓読みがされている。「櫧」は、カシ、またはイチイガシである。(「万葉の恋歌」 堀内民一 著 創元社)
説明文では、「いちしの花は白ということになる。ヒガンバナの赤とは正反対である。」といっているが、白いヒガンバナには触れていない。色だけが決め手になるか議論が分かれるところである。
「いちし」が詠まれているのは、万葉集ではこの一首だけである。「いちし」については、古くからダイオウ、ギンギシ、クサイチゴ、エゴノキ、イタドリ、ヒガンバナなど諸説があったという。万葉植物のなかでも難解といわれていたが、牧野富太郎氏により、ヒガンバナ説がとなえられた。山口県では、イチシバナ、福岡県では、イチヂバナという方言があることが確認されヒガンバナ説が定説化されたという。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の恋歌」 堀内民一 著 (創元社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉の小径 いちしの歌碑」