●歌は、「水伝ふ礒の浦みの岩つつじ茂く咲く道をまたも見むかも」である。
●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(6)である。
●歌をみていこう。
◆水傳 磯乃浦廻乃 石上乍自 木丘開道乎 又将見鴨
(日並皇子尊宮舎人 巻二 一八五)
≪書き下し≫水(みづ)伝(つた)ふ礒(いそ)の浦(うら)みの岩つつじ茂(も)く咲く道をまたも見むかも
(訳)水に沿っている石組みの辺の岩つつじ、そのいっぱい咲いている道を再び見ることがあろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)いそ【磯】名詞:①岩。石。②(海・湖・池・川の)水辺の岩石。岩石の多い水辺。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)うらみ【浦廻・浦回】名詞:入り江。海岸の曲がりくねって入り組んだ所。「うらわ」とも。(学研)
(注)茂く>もし【茂し】( 形ク ):草木の多く茂るさま。しげし。(weblio辞書 三省堂大辞林 第三版)
「石つつじ(イワツツジ)は、水辺の岩の間に咲くツツジ。ここでは、庭園の磯の辺りに咲くツツジをいう。現在、イワツツジと呼ばれる品種は、高地性のものであり、舎人の歌っている場所は飛鳥で、せいぜい標高100メートル程度に過ぎないので、このイワツツジは文字通り岩の辺りに咲くツツジと解される。品種は、ヤマツツジで、常緑低木が多く、四月から六月にかけて、次々と山野で白に紅に花を咲かせる。
イワツツジの咲く磯も、実は、島の宮と呼ばれる草壁皇子(くさかべのみこ)の住まいの池の磯である。持統三年(六八九)四月、持統の期待もむなしく結局は即位することもなく、皇太子草壁は薨去(こうきょ)した、主人である草壁が健在であればこそ、島の宮の邸に奉仕することができるが、主亡き後は、舎人たちは島の宮を立ち去らねばならない。今咲いている池のイワツツジを、もはや見ることもないだろうとの主を失った舎人たちの悲しみを歌っている。」(万葉の小径 つつじの歌碑)
万葉集には、ツツジの歌は、九首収録されている。意外と少ない。「茵」「都追慈」「管士」「管仕」「管躑躅自」「乍自」と表記されている。今の「躑躅」という表記では出てこない。
この歌を含む一七一から一九三歌までの歌群の題詞は、「皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首」<皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人等(とねりら)、慟傷(かな)しびて作る歌二十三首>である。
冒頭歌をみてみよう。
◆高光 我日皇子乃 萬代尓 國所知麻之 嶋宮波母
(日並皇子尊宮舎人 巻二 一七一)
≪書き下し≫高光(たかひか)る我(わ)が日の御子(みこ)の万代(よろづよ)に国知らさまし島の宮はも
(訳)輝き照らすわが日の皇子(みこ)が、万代(よろずよ)かけて国土を治められるはずであった島の宮なのに、ああ。(同上)
(注)たかひかる【高光る】分類枕詞:空高く光り輝くの意で、「日」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)まし 助動詞特殊型 《接続》活用語の未然形に付く。:①〔反実仮想〕(もし)…であったら、…であるだろうに。…であっただろう。…であるだろう。▽実際には起こり得ないことや、起こらなかったことを想像し、それに基づいて想像した事態を述べる。
②〔悔恨や希望〕…であればよいのに。…であったならばよかったのに。▽実際とは異なる事態を述べたうえで、そのようにならなかったことの悔恨や、そうあればよいという希望の意を表す。
③〔ためらい・不安の念〕…すればよいだろう(か)。…したものだろう(か)。…しようかしら。▽多く、「や」「いかに」などの疑問の語を伴う。
④〔単なる推量・意志〕…だろう。…う(よう)。
(注)はも 分類連語:…よ、ああ。▽文末に用いて、強い詠嘆の意を表す。 ※上代語。
なりたち係助詞「は」+終助詞「も」
歌碑の歌を含め二十三首は、日のみこ(草壁皇子)に対する悲しみが歌われており、一人の代作者によるものと言われている。墓所で舎人たちが歌ったものとして儀礼的に宮廷信仰にのっとって代作されていると考えられている。草壁皇子は亡き後、尊んで日雙斯(ひなめし)と諡(し)せられた。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉の小径 つつじの歌碑」